キャラメルと月のクラゲ

 電車とモノレールを乗り継いでたどり着いた大学の最寄り駅で待っていた友人のメロスは、遅れてきた僕を怒ることはなく、
「おはよう、朋弥《ともや》。遅かったな」
そう言っていつものように笑いかけた。
「ペットのクラゲが死んだんだ。それで………墓を作ってた」
「そうか。今度墓参りに行くよ」
彼、メロスこと縞田《しまだ》オサムは大学に入ってからの友人だった。
大学一年の頃、まだ入学したての時に電車の中で彼から話しかけてきた。
メガネをかけた僕が地元の友人に似ているんだと。
それから僕らは一緒に通うようになった。
けれどメロスは一昨年新設されたばかりのデザイン学部の学生で、大学内で会うことはほとんどなかった。
「そうだ。今日の講義終わったら気分転換に飯でも行かないか? バイト代入ったからおごってやるよ」
「ごめん。今日はバイトなんだ。それに水槽を洗わないと———」
頭の中で主を失った水槽を思い浮かべていると、目の前を横切ったカップルが突然キスをした。
二人は見つめ合いながら大学に直通のエスカレーターで上がっていく。
僕らは思わず足を止めてその後ろ姿を見送った。
「………朝から気分を害するモノを見てしまった」
隣のメロスを見るとわかりやすく頭を抱えている。
「すまん。人前でするなって言っておく」
「知り合いだったのか?」
「まあな。悪いウワサしか聞かないだろ? 男関係さえなければいいヤツなんだよ」
数メートル先で腕を組んで歩く女と男。
そのキャラメル色の髪がふわふわと揺れている。

僕が通っているのは東京郊外にあるベッドタウンの夕陽ヶ丘と星ヶ丘という二つの丘陵地のうち、夕陽ヶ丘側に建設された夕星大学の心理学科だった。
毎週水曜日はプレゼミの日で、大学内にある心理ラボの責任者を任されている栄川和音教授のゼミを僕は希望していた。
「おはよう、椋木《くらき》くん。先週の課題なんだけど提出できる?」
栄川先生にプレゼミリーダーを頼まれたカニクリという変なアダ名の女の子が僕の前に立った。
「あ………ごめん、カニクリ。………家に忘れてきた」
「椋木くん———アナタやる気あるの? そんなんじゃゼミに入れないよ」
きつめの口調でカニクリは言った。
「まあまあ、カニクリ。朋弥だって悪気があるわけじゃ………」
隣に座っているミツさんが助け舟を出してくれる。
それでもカニクリは納得できていないようだった。
「………わかってるよ。明日持ってくるから」
その態度に僕も少し苛立《いらだ》ってしまった。
彼女が悪いわけではなかった。
ただ、何かに苛立っていた。

***

幸せはずっと続くものだと思っていた。
その日の昼休み。
私は同じデザイン学部で同じ服飾デザイン学科のイズちゃんとメロスを連れて学食にやってきた。
「何食べようかなー」
口から出てくる独り言さえ幸せに満ちていた。
「梨世《りせ》ちゃん、今日は講義中もずっとお腹鳴りっぱなしだったね」
「今日の朝はイズちゃんご飯じゃなかったから少なめだったんだよね」
「あ、つか梨世。オマエ、朝からイチャついてんじゃねえよ。それを見た周りの迷惑も考えろよ」
「え? メロス見てたの?」
「見たかねえけど見せられたんだよ、オマエに。それに、オレのツレがテンション低かったのにさらに落ち込んじゃってさ」
私達は入り口に書かれたメニューを見ながら話を続ける。
「私、今日は日替わりにしようかな」
「聞いてねえし」
「メロスくん、その友達って何かあったの?」
「ん? あー、ペットのクラゲが死んだんだって。アイツ、クラゲ好きだからさ」
「ふーん。クラゲって食べられるんだっけ?」
「梨世ちゃん、キクラゲって知ってる? 中華あんかけに入ってたりして美味しいよ」
「イズさ、キクラゲはクラゲじゃねえよ。キノコだよ」
「そうなの? あ、イズはあんかけパスタが食べたいな」
「あ、美味しそうだね。私もそっちにしようかな」
「オマエらマイペースか」
その時の私はただ早くお腹を満たしたくて、クラゲも飼えるんだと思ったくらいだった。
そしてできれば早く講義が終わって学部の違う彼に会いたいと思うばかりだった。
オーダーを決めた私達が先に空いている席を探していると、視界に早く会いたいと思っていたヒトが現れた。
長めの前髪に隠れた形のキレイな二重の瞳。シンプルにまとまったカジュアルなスタイルの彼が知らない女と並んで座っていた。
アクセサリーをジャラジャラつけたメイクが濃くてケバいだけの女だった。
「空いてる席、あった?」
そう問いかけるメロスの声も届かない。
私はそのまま彼がいるテーブルに歩いていく。
「その女、誰?」
彼が女から私に視線を移す。
「え? 何?」
その言い方に、私は気持ちを抑えられず、彼の前に置いてあるグラスを勢いよくつかんだ。
私の手にしたグラスから放たれた水滴の塊が彼の顔を襲う。
水だったことに感謝してほしい。
「は?」
濡《ぬ》れた前髪の下でキレイな形の瞳が私をにらんでいた。
「その女が誰かって聞いてんの!」
今にもつかみかかってしまいそうなのを我慢していた。
私はオトナだから。
そんなチャラチャラ着飾っただけのガキとは違うから。
「何で梨世にそんなこと言わねーといけねえんだよ」
「何でって………私、カノジョでしょ!?」
「は? 何言ってんの? 付き合うなんて言ってねえよ。一回ヤッたくらいで付き合ってるとか思ってんじゃねーよ」
カノジョ、デショ?
カノジョ、ジャナイノ?
「梨世、もうやめとけよ。みんな集まってきてる」
「梨世ちゃん、行こ?」
イズちゃんの手に引かれていく。
メロスも私の腕を強くつかんでいた。
何でこんなに苛立ってしまうのだろう。

***

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