キャラメルと月のクラゲ
私に手をつかまれたまま、カニクリは何も言わず一緒に歩いてくれた。
買ったばかりのハイヒールが痛い。
「何も逃げ出さなくてもよかったんじゃない?」
足が痛くなって立ち止まると、私から解放されたカニクリが靴ずれで赤く血がにじんだ私の足を見ながら口を開いた。
「だっていきなり結婚って………」
「いきなりじゃなかったかもよ。今までその気にさせてキープしてた梨世が悪いんじゃない?」
カニクリはバッグから取り出した絆創膏《ばんそうこう》を血が出てきた私のアキレス腱に貼ってくれた。
「私、………が悪かったです。ごめんなさい———」
「あれ? 今日は、私悪くないもん、じゃないのね」
「これでも反省はしてるの。今まで大人げなかったなって」
「へぇ。どんなふうに?」
「それは、———好きになるように仕向けて弄《もてあそ》んでみたり、好きでもないのに好きなフリしてみたり」
「それはいいこと?」
「悪いこと………です」
都心の迷路のように路線と地下道が入り組んだターミナル駅はヒトであふれていて、私達の存在を誰も気にとめない。
「それがわかってるなら、成長したのかもね」
「………成長、したのかな?」
私達は歩き出す。
「うーん、どうだろうね。まあ少なくとも前の梨世より今の梨世のほうが一緒にいて楽かな」
「そうなの?」
「うん。そうじゃなきゃ今日だってプロポーズされたのに一緒に走って逃げたりしないよ。しかもヒールで」
「ごめんって。でも、ありがと」
私は隣を歩くカニクリの腕にしがみつく。
「ちょっとやめてよ。歩きづらい」
「いいじゃん。このままウチまで帰ろうよ」
「嫌です」
「じゃあさ、一緒に住もうよ」
「えー? 今度は梨世が私にプロポーズ?」
「そうだよ。イズちゃんと三人で住もうよ」
「嫌よ。第一、あの部屋に三人は狭いじゃん。私、自分の部屋がないと嫌なの」
「だったら引っ越す。三人で住めるところ探そう?」
「だから嫌だってば。そんなことしたらますます梨世が自立できなくなるでしょ?」
「自立なんてしなくていいよー。だから一緒に住もう?」
「もうしつこいなぁ。住まないってば」
「カニクリのケチ」
「うるさいなぁ。………だって———私は今の部屋から出ていけないんだよ?」
そしてそのまま駅のホームに立った。


何で、出ていけないの?
「………彼を忘れないために」
彼って、元カレ?
「違うよ。でも、———命の恩人」
大切なヒトなんだね。
「うん。もう会えないけどね」
どうして? 結婚したの?
「ううん。………死んじゃったんだ。自殺だって」
………その部屋で?
「どこかわからない。でも、カレの弟が言ってたの。もう会えないって。死んだんだって」
今でも、その———好きなの?
「うん。だから、忘れない」
朋弥のこと、好きだったのに?
「それは、まあ、………そうだけど。もしかして梨世、嫉妬?」
そうかもしれない。でも、———今の私に嫉妬する資格なんてないよ。
「カノジョじゃないから? だったらカノジョにまたなればいいんじゃない?」
今の私じゃ朋弥を幸せにできないよ。
「そんなことないよ。そうやって大事なこと隠したまま話さないで終わってほしくない」
さっきは朋弥のこと悪く言ってたくせに。
「朋弥くんにだって悪いところはいっぱいあるよ」
そうかな。だけど、カニクリも朋弥が悪いなんて思ってないんでしょ?
「それはどうかな。彼の悪いところも知ってるよ?」
でもそれ以上にいいところもいっぱい知ってるでしょ?
「うーん、そうかもね」
どっちだよ。
「わかんない」
隣同士に座った私達はそれぞれにだけ聞こえる声の大きさで話して笑い合った。
それから手をつないで私達は帰った。
私とイズちゃんの部屋へ。
私達の友達が待つ部屋へ。


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