キャラメルと月のクラゲ
その日は前日から降り続く雨が昼を過ぎてもやまなかった。
「雨、やまないね」
窓辺に飾られたクリスマスツリーの隣でイズちゃんがつぶやいた。
「夜には雪になるかもって朝のテレビで言ってたよ」
私はソファの上で毛布にくるまって横になっていた。
「ずっとそのままだと梨世ちゃん雪だるまになっちゃうよ」
カーテンを開けた窓は結露で白み、その向こう側にあるグレーのような白い空からは冷たい雨音が聞こえていた。
「なりませんよーだ」
「だったらそろそろ起きてお料理手伝って。まずはお昼ご飯からだよ」
ケータイからオトコのメモリーを友達以外全部消した。
「はーい」
飲みの誘いも合コンも行かないと伝えると向こうからの連絡もなくなり、鹿山梨世は死んだんじゃないかという噂すら流れることもあった。
「梨世ちゃんは鍋でお湯を沸かして。お野菜いっぱいのポトフを作るよ」
毛布から抜け出たパーカーとスウェットの部屋着の私はイズちゃんの隣に立って大きな鍋に水をためる。
「これって夜の分も?」
ある意味、私は死んだのかもしれない。
「そう。みんな寒い中、来てくれるんだから温かい物ちゃんと用意しておかなきゃね」
過去の私はいなくなり、新しい私がいるつもりだった。
私は変われたんだろうか。
変わっていけるんだろうか。
「ねえ、イズちゃん。私さ———」
「一人で暮らすなんて言わないでね」
「………え?」
「そもそも梨世ちゃんは自炊なんてまだまだできないし、一人で暮らしてもどうせ私のところに来てご飯食べることになるんだから」
「いつかは、できるようになるよ」
そんなこと、もうどうでもいいや。
「できるようになるまでは、イズちゃん、いっぱい料理教えてね」
私は私だ。
「わかった。いっぱい教えるからその時は食べさせてね」
それ以外の何者でもない。
変わっても変わらなくても、それは私だ。
「あ、でもその前に食べさせたいヒトがいるよね」
私の隣でイズちゃんが笑っている。
「………その時の味見はイズちゃんがしてよね。失敗したくないからさ」
「任せておいて。食べるのは梨世ちゃんよりも得意だよ」
「またおっぱい大きくなるだけかもよ」
「おなかにつかなければいいですよーだ」
「ああ、このおなかは何ヶ月ですかー? 赤ちゃん入ってますかー?」
ふざけてイズちゃんのおなかを私は触る。
「2ヶ月だよ」
「………え?」
「———ほんとうに産まれるよ」
「………嘘?」
「嘘だよ?」
一瞬事態が飲み込めなかった。
それでも野菜を持って意地悪な微笑みを見せているイズちゃんが言ったことはたわいない冗談だとわかった。
「ちょっともう! マジで信じちゃったじゃん!」
「だって相手がいないじゃない。信じないと思ったのに」
手にしたジャガイモをイズちゃんは洗い始めた。
「………それでも生理不順にはなったよ」
「———イズちゃん」
「もうすぐさ、今年も終わるじゃない? だから、まだ残ってるいろんなこと吐き出して水に流そうかなって」
洗ったジャガイモに十字の切り込みを入れると手際よくラップに包んでいく。
「あの時、これで終わりって言ったのにごめんね」
「ううん。あれは全部私のワガママなんだからイズちゃんは悪くない」
「それと———」
イズちゃんはラップでくるんだジャガイモをレンジで温める。
「ずっと思ってたんだけど、そろそろ朋弥くんとヨリを戻したら?」
温める時間を合わせながらイズちゃんは背中越しにそう言った。
「それは、私一人で決められることじゃないから」
「気持ち、確かめなよ?」
振り向いたイズちゃんの瞳は潤んでいた。
「梨世ちゃんが幸せだと私もうれしいから」
「………うん。ありがと」
それから私達がまた大量の野菜を切っているとノックもなしにドアを開けて、
「———え? カニクリ?」
カニクリが入ってきた。
「あ、カニクリちゃんおかえりー」
「あ、ただいま。ちょっとイズちゃん、梨世に合い鍵の話してなかったのね」
「あー、そっか。梨世ちゃん、カニクリちゃんに合い鍵渡したけどいい?」
「事後報告かよ」
「もちろん! これで三人一緒に住めるね? カニクリ」
「だから嫌だって言ってるでしょ。私、自分の部屋がないのは嫌なの」
カニクリがリビングのソファにロング丈のコートを脱ぎ捨てると私の隣に立った。
「カニクリちゃん、エプロンこれ着けて」
とイズちゃんが手渡したピンクのエプロンは私とイズちゃん二人で選んだ。
「ピンク………ありがとう。梨世はエプロンしないの?」
「私はいいよ。部屋着だし、汚れたらすぐ洗うし」
「いいの? 朋弥くんもうすぐ来るって言ってたよ?」
「マジで?」
「マジマジ」
私はすぐにパーカーを脱いで自分の部屋に入った。
その背中に二人の笑い声が聞こえたけれど気にならなかった。


「かんぱーい!」
東京では珍しく雨が降り止まないクリスマス・イヴ。
私達のクリスマスパーティーが始まった。
私とイズちゃんとカニクリが作ったポトフとポテトサラダとツリーに見立てたブロッコリーのサラダ、フライパンで焼いたミートローフ。
ミツさんとメロスが買ってきたローストチキンやフライドチキン。
そして朋弥が買ってきた大きな8号のクリスマスケーキ。
「ねえ、松井さんも来るって言ってた?」
「にぎやかなの苦手だから遠慮するって。彼氏いるみたいだからそっちじゃないかな」
得意げにケーキを見せてくれた朋弥は少し残念そうだった。
「そっか残念。来年から本屋さんでバイトだから最後にありがとうしたかったのに」
「渡来ちゃんは最近できたカレシとイルミネーション見に行っててユウキとマイはテニサーのパーティーだとさ」
ミツさんにとりあえず声をかけてもらった三人はダメだったらしい。
「………シズクは?」
「課題が終わってないから来れないって言ってたよ。———まあ、そうだよね」
カニクリから連絡してもらったのにシズクもやっぱりダメだった。
今年いろいろあったから話したかったけど無理もないか。
シズクとはまた別の機会に話そう。
「はーい、みんな。いっぱい食べてねー」
リビングのテーブルに料理を置いていくイズちゃん。
メロスはそれを手伝っていた。
「メロス、ごめん。私も———」
「梨世はみんなの分を取り分けてやって。朋弥もよろしく」
メロスが箱からお皿に並べたチキンはとてもいい匂いがしていた。
「オッケー。ねえ、お皿取って」
「うん。はい、どうぞ」
朋弥から受け取ったお皿にテーブルの上の大きな鍋から私はポトフを取り分ける。
「てかメロスはあの子とどうなったの?」
「はあ? どうもなってねえよ」
私がそう言うとメロスは焦って強めに言った。
「あの子って?」
カニクリはポテトサラダを取り分けながら聞いた。
「この前三人でご飯食べてたら来てくれたんだよ。メロスのカノジョ」
「マアサちゃんだっけ? 確かギャルヒーって雑誌の専属モデルの」
話を聞いていたイズちゃんは大皿のシーザーサラダを置くと床にぺたんと座った。
「オレ達と同い年でモデルやってる。アイツの母親が今の編集長なんだ。柚木真亜紗《ゆずきまあさ》だよ」
「———え? 嘘………」
「実家の隣に住んでるヤツの又従姉妹《またいとこ》がマアサで、小学生くらいまでチハルおばさんとよく静岡に来てたんだよ」
話しているメロスの隣でカニクリがうつむいていた。
「カニクリ、どした?」
ポトフを入れた器を差し出すと、顔を上げたカニクリと視線がぶつかる。
「………何でもない」
その瞳が潤んでいた。
そんな守ってあげたくなるような彼女を見るのは初めてで、器をテーブルに置くとカニクリの隣に座っていた朋弥を押しのけて彼女を抱きしめた。
「………ちょっと梨世。急に何よ」
「何でもないけど、何でもある気がするから。———泣いてもいいんだよ」
「ちょ、ちょっとやめてよ。———ほら、食べよ」
突然のことでみんな少し驚いていたけれど、それでも私達のクリスマスパーティーはたくさんの料理と笑顔で楽しかった。


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