キャラメルと月のクラゲ
「柚木真亜紗ってね、私の中学からの同級生なんだよ」
とベランダで一つのストールを二人で肩にかけて、カニクリがそっと話し出した。
「もう一人の友達と三人で同じ高校に入ったんだ。頭のいい真亜紗に勉強教えてもらってね。それで一年の時にできた私の初カレと彼女が浮気してたんだよね」
「マジで………」
「マジだよ。だから、梨世のそういうところがすぐにわかっちゃって嫌いだったんだと思う。私も真亜紗も一緒なんだよ。………ごめんね。キツいことばっか言って」
「ううん。全部私のせいだから」
首を振る私の吐息が白く雨の夜空に消えていく。
「その、カレって命の恩人の?」
「違うよ。でも、初カレにフラレてから私、海で自殺しようとしたの。それを引き止めて助けてくれたのが、命の恩人の彼。———小説家なの。彼に私は文章の書き方を教えてもらって、今は私も時々書いてるの」
「たまにものすごい勢いでパソコンに向かってるのは小説書いてたの?」
「そうそう。ちょっとだけ仕事もらえてるからがんばらないとね」
「その彼のために?」
「そうだよ。小説家のために」
都会の街灯に照らされたカニクリの顔が少し火照《ほて》っているように見えた。
「あー、もう。この話、一生誰にも話さないって決めてたのに。何か、梨世には話しちゃうんだよね。意外と梨世、カウンセラー向いてるんじゃない?」
それが寒さのせいなのか、彼とのことを思い出したからなのか。
「私はカニクリの話を聞くくらいで精いっぱいだよ」
「まあ、どっちかって言うと、梨世は私の話を聞けって感じだもんね」
やっぱり寒いね、とカニクリは笑ってストールから部屋の中へと逃げていく。
「………私がそんなことを言えるのは、カニクリくらいだよ」
私はそのあとを追ってそっと窓を閉めた。

「昔の恋人の話って聞いたことある?」
ミツさんに女の子から電話がかかってくるというクリスマスの奇跡が起こって慌てて出ていってから、カニクリが私に話を振った。
「私は聞いたことないかな。過去は過去だし、興味ないよ」
「朋弥くんは? 興味ある?」
「んー、ないとは言いきれないかな。知りたくなくても知っちゃうことってあるし」
イズちゃんは何も言わずに立ち上がって冷蔵庫に向かう。
メロスもこの話題を避けたいのかキッチンに行った。
「たとえば、今まで何人と付き合ってきたかは聞きたくなくても、同じような別れ方を繰り返しているなら原因はその本人にあるのかなって」
今日のカニクリはおしゃべりだ。
「だから、過去に別れた原因を話し合ってもいいんじゃないのかなって」
それはたぶん私と朋弥に対しての気遣いだ。
イズちゃんとメロスがそのつもりで洗い物を始めたのかはわからないけれど、カニクリが何を思っているのかわからないけど、
「それって、私達に話し合えってことだよね?」
「まあ、簡単に言えばね」
「じゃあ、話し合ってみる?」
私は話し合わなければいけないヒトにそう問いかける。
「いいけど、話すのはほとんどそっちのほうだよ」
「そういう言い方、好きじゃないな。話したくないの?」
「そういうわけじゃないけど」
「じゃあ、どういうわけよ?」
「ちょ、ちょっと、二人で話してもいいかな?」
「オッケー。私の部屋に行こう」
そんな私達のやりとりを三人はそっと見守っていた。

***

梨世の部屋に入るのは初めてのことだった。
ベッドと服で埋め尽くされたシンプルな部屋だった。
「意外とシンプルなんだね」
「着替えと寝る時くらいしか部屋にいないから」
化粧品で散らかった机を片付けるでもなく、彼女は飲み物をその隙間に置いてベッドに座った。
白とピンクの色で飾られた家具達の中で、キャラメル色の髪をした彼女は浮いていた。
「座ったら? あんまりじろじろ見られても恥ずかしいし」
と自分の隣のスペースをたたいて示した。
僕もグラスを机の空いたスペースに置いて彼女の隣に座る。
「今更《いまさら》、何を恥ずかしがるのさ」
「そんなのいろいろあるでしょ? 女の子の部屋に来ておいてそんなこと言わないで」
「だったら何を言えばいいのかな」
「何でもいいよ。ちゃんと向き合って話したいの。———ううん。二人のこと、ちゃんと話し合いたいの」
「二人のこと?」
「うん。私と、朋弥のこと」
「さっきは過去の別れた原因って言ってたけど」
「そんなの私のワガママなだけでしょ?」
「そうだとしたらなぜワガママなのかって話だよ」
「私がさみしいからじゃない」
「開き直るなよ」
「だったら朋弥は何が別れる原因だって思うの?」
「それは、僕が暇つぶしにもならないからだろ?」
「それ? そういう意味で言ったんじゃないよ」
「じゃあどういう意味だよ」
「二人で一緒に暇つぶしもできないって意味だよ」
「どういうこと?」
「だから、私は朋弥と暇つぶしで付き合ったんじゃないってこと」
「そもそも付き合ってなかったのに?」
「だってそれは、一緒にいるのに一緒にいないみたいに感じてたから」
「それは………シズクにも前に言われたことがある。僕は自分のこともどこか他人事みたいに話すって」
「………そっか。朋弥の原因はそれかもね。どうしてそんな言い方するの」
「そんなつもりはないんだ。ただ何て言うか、世界は自分とは関係のないところで動いてるんだって思ってて」
「関係なくないのにね。朋弥の世界は朋弥を中心に回ってるよ」
「それでも自分の知らないところで何かが起きて終わりを迎えて、それを知るだけだったらやっぱり世界は僕に関係ないって思うよ」
「その世界って、どんな世界?」
「それは———梨世のいる世界」
話し始めてから久しぶりに彼女と視線がぶつかる。
「私はここにいるよ」
「だったら僕が梨世の見ている世界にいないのかもしれない」
「そんなことないよ」
梨世の細くて白い手がベッドの上で居場所を失っていた僕の手の甲に触れる。
「それはもう、過去の話でしょ? 今、朋弥は私の目の前にいる。私は朋弥のすぐ近くにちゃんといるよ」
そして力強く握った。
「だけど———」
「さすがに何回もマイナスなこと言われるといい加減怒るよ」
「うん。ごめん」
僕は彼女の手を返して強く握った。
「梨世、———これからどうしようか?」
「これから? ———エッチする?」
「いやそうじゃなくて」
と僕が思わず笑いながら言う。
「あ、今コイツやっぱりビッチだなとか思ったでしょ!」
「思ってないよ。………でも、そこはちゃんとしよう」
「ちゃんと?」
「うん。だから、———僕と付き合ってください」
「………私のこと、好き?」
「もちろん。好きだよ」
「———ありがとう」
「そうじゃないだろ?」
「え? あー」
と彼女はうつむいた。
「———朋弥、大好きだよ」
その言葉は握り合った僕達の手の中に落ちた。
「だから、私と付き合って」
視線を上げると彼女のキレイな形の瞳が僕を見ている。
そのまま見つめ合いながら、僕は何も言わなかった。
「何か言ってよ。私の人生初告白なんだよ?」
「初、なんだ。意外。梨世からちゃんと言ってもらえたのが初めてだったから噛《か》みしめてた」
「一瞬嫌われたかと思っちゃった」
「ついさっき好きだって言ったばっかりなのに?」
「ヒトの気持ちはいつ変わるか、わかんないでしょ?」
「そうかもね。じゃあ気が変わらないうちにこれ渡しておくよ」
「ん? 何?」
僕は上着のポケットから小さな箱を取り出した。
「あ、それって———」
「誕生日に渡せなかったヤツ。今度こそ、もらってくれるかな?」
「今ももらう資格があるのか自分じゃわかんないけど、ありがたくいただきます」
「はい。どうぞ」
「開けてもいい?」
「もちろん」
彼女は小さな箱の紺色のリボンをほどく。
開かれた箱からピンクゴールドのネックレスが見えた。
「2ヶ月近く寝かせてるからほどよく熟成されてるかも」
「ごめんって。でも、クリスマスプレゼントにはちょっと軽いかな」
「………え?」
僕の顔を見て梨世は笑った。
「嘘だよごめんね。ほんとにうれしいです」
「それならよかった。それで、僕には?」
「え?」
「いや、え? じゃなくて。僕にクリスマスプレゼントは?」
「だって今日はご飯持ち寄りでプレゼントなしじゃん」
「待て待て。それは友達みんなの話で、ここの二人は特別じゃん」
「うん。特別」
「それならプレゼントを………」
「誕生日の使い回しなのに?」
「それはまあ、そうですけど」
「嘘だよ。ちゃんと用意してるよ」
彼女は枕元に置いてあったスマホで電話をかける。
「もしもし、松井さん? 遅くなってごめんね。今から行くからよろしく」
さ、行くよ。
と彼女は電話を切ると立ち上がった。
「行くってどこに?」
「お店に決まってんじゃん」
彼女は机の上の鏡をのぞき込むと、小さな箱から取り出したネックレスを着けようと手を首に回す。
「店って………?」
髪の毛が邪魔で手間取っていた。
「やってあげるよ。貸して」
「うん。ありがとう」
彼女は僕にネックレスを渡して髪をまとめて右手で持ち上げるとこちらを見た。
「普通後ろじゃない?」
「そう?」
と彼女は微笑む。
「私はこっちの方が好きなの」
ネックレスを持った手を彼女の首に回す。
「だって私のためにがんばってる朋弥が見たいから」
留め具はなかなか言うことを聞かず、僕は彼女に近付いて首の後ろをのぞき込む。
キレイな《《うなじ》》と後《おく》れ毛が僕の手をなでる。
「くすぐったいよ。早くして」
耳元で彼女が言った。
僕にはその声と言葉がくすぐったかった。
その間、残された彼女の左手はずっと僕の胸の上に乗せられていた。
「ねえ、早く」
ようやく留め具がはまると離れた僕に彼女が抱きついた。
「松井さんを待たせてるんじゃないの?」
「ちょっとだけ。ついでに、キスして」
ワガママな彼女のお願いを僕は応《こた》える。
「それじゃサプライズプレゼント期待しててね」
外はまだ雨みたいだから寒いよ。
彼女はそう言ってピンクのコートを羽織った。

***

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