キャラメルと月のクラゲ
金曜日のバイトは暇だった。
日付を間違えてせっかくの金曜日にバイトを入れてしまったことを後悔した。
こんな時に限っていつも暇そうな椋木くんは予定があるそうだ。
ミオ先輩は就活のこともあってか早々に帰ってしまった。
閉店までの残り一時間、私はまたいつものようにクラゲ達に餌をやり、その残りをすくう。
そんな繰り返しの時間、私はスマホに登録した番号を見つめていた。
この番号を消してしまえばすっきりすると思う。
消さなければ、またずるずると行くだけだ。
もう確実にフラレてしまっているのに。
いきなり恋の終わりを告げられても、私にはどうやって終わらせたらいいのかわからない。
「クラゲさーん、ごちそうさまは言えますかー?」
エプロンのポケットの中でスマホが鳴った。
『車で迎えに行くから店の前で待ってて』
メッセージが届いた。
『30分には着くから』
このお話も彼に聞いてもらおう。
それで、忘れてしまおう。
「うん、わかった。待ってるね」
そう返事をすると、残りの仕事に取りかかった。


閉店作業を終えて戸締まりを確認して、お店の鍵を裏にあるオーナーの家へ返しにいく。
「こんばんわ。鍵を返しに来ました」
「おお、すまんな。一人で問題なかったか?」
「はい。全然オッケーです」
私のバイトをしている『Crystal Jellies』のオーナーは昼間の営業にしか出ない。
ほんとうなら昼間も出たくはないはずだ。
彼の奥さんは入院している。
そのお世話と看病に彼は大半の時間を費やしていた。
ミオ先輩も空いている日は昼間もバイトに入っていた。
お店のことをほとんどがミオ先輩に任されているのはそのせいだった。
「そっか。ありがとな」
大きな体のオーナーは笑った。
クラゲのペットショップをやっているのも奥さんの影響らしい。
「それじゃ、失礼します」
「おう。お疲れ様」
片時も離れたくないという気持ちが伝わってくる。
私もいつかそんなふうに思ってくれる旦那様にめぐり会えるだろうか。
「お待たせ。今日はどこに連れていってくれるの?」
「少し遠くに行こう。そこは夜景もキレイなんだ」
タバコを吸いながら待っていた彼は、いつものちょっと疲れた笑顔を静かに見せた。
「うん。楽しみだなー」
私は彼の開けてくれる助手席に乗り込んだ。


夜のイルミネーションに飾られた東京を走っている間、私は私の話をした。
かわいそうな女の子のお話。
そしてどこにでもあるお話。
涙が込み上げてくるそのお話をしている私に、彼は一つ一つ丁寧な相づちを打つ。
BGMの洋楽は会話の邪魔にならない音量のまま車の中で揺れていた。
感情と記憶がぐちゃぐちゃになって話し疲れた頃、私は眠ってしまった。
うとうととしながら、けれど感覚はやけに彼の動く気配に敏感で、そっと頭をなでてくれることがいつもの何倍も心を満たしてくれた。
彼は、私の癒《い》やしだ。
私の話を嫌な顔せずに全て聞いて受け入れてくれる。
そのことで私は自分では終わらせられない恋にお別れを告げられる。
「梨世、着いたよ」
彼の低い声が耳元に響く。
私は寝ぼけたフリをしてドアを開けて待っている彼に抱き着く。
彼は軽々と私を抱きかかえると、大きめのトートバッグを持った手で器用にドアを閉めた。
「ここはどこ?」
「小さな山の頂上。夜景がキレイなんだ。流星群を見るのにも向いてる」
「少し曇ってるけど見えるかな?」
「ピークは過ぎたけど運がよかったら見られるよ。運試しだな」
「私きっと今、運はよくないよ」
「大丈夫。オレはその分、運がいいから問題ないよ」
ここにしよう、と彼は芝生の上に私を立たせてバッグからレジャーシートを取り出した。
「準備万端ですね」
「シートだけじゃないよ」
私は彼と一緒にシートを地面に広げて座ると、今度はバッグから大きな厚手のブランケットが出てきた。
「未来の猫型ロボットですか?」
「まだまだあるよ」
二人並んでブランケットにくるまる。
彼はポットからコーヒーを入れてくれた。
「まだ寒いね」
「そうだな。風邪引くなよ」
「うん」
私達以外はたまご型の月と見渡す限りの星空と夜景だけだった。
「キレイだね」
あまりの美しさにしばらく言葉を失ってしまった。
「なかなか流星群は見れないけど、星はすごくキレイだな。見てごらん。あれがうしかい座のアークトゥルス、それでこっちがおとめ座のスピカ、そしてあのしし座のデネボラをつないだのが、春の大三角」
彼は私の視界に真っ直ぐ空に向かって手を伸ばした。
「この春の大三角にりょうけん座のコル・カロリを加えたのが春のダイアモンド」
その左手の薬指にある指輪が光る。
「そうなんだ。空にもダイアモンドがあるんだね」
私はそっと彼の肩に頭を乗せる。
「私、幸せだな」
「どうした?」
「何でもない。ただ思っただけ」
「そうか」
少しずつ雲と月の光が夜空の星を覆い隠してきた。
「流星群、見れなさそうだな」
最後に流星群を見たのはいつだっただろう。
「そうだね。体も冷えてきちゃったし、そろそろ行こっか?」
「そうだな」
あれは高校の時、地元で有名なスポットにその時のカレと車で行って以来。
「今度は流星群がピークの時に来ような」
「その時は私のためだけに時間作ってくれる?」
「ああ、わかったよ。梨世のために時間作るよ」
きっとそれは叶《かな》わない。
年上の彼には私よりも優先するモノがあって、私は二番目だから。


それから同じ時間だけのドライブをもう一度繰り返して、私と彼は夜景のキレイなホテルに入る。
笑顔でいることとセックスをすること。
それが彼に支払う私の対価だ。
今が女として花盛りである私の価値ならお釣りが来るくらいだ。
だからせめて二人でいる時間だけは、私だけを愛してほしい。


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