空の下の笑顔の樹
第一章 菓絵と優太
 どうしても伝えたいことがあるから。
 真っ白い雲のキャンバスに、愛する人の絵を描いた後、私は大きな決断をした。



   第一章 菓絵と優太

「おじいちゃん、おばあちゃん、おはようございます。今日も笑顔でがんばりますので、お客さんをいっぱい連れてきてくださいね」
 変わらぬ姿で私を見守り続けてくれている祖父母の写真に手を合わせてから、私の新しい一日が始まる。

 絵を描くことが好きになったきっかけは何ですか? と聞かれることがある。私はいつも曖昧な答え方をする。どうして絵を描くことが好きになったのか、自分でもわからないからだ。私の母の話によると、私は二歳の頃から絵を描き始めたらしい。遠い昔のことなので、どんな絵を描いていたのかは覚えていない。父と母が上手いと言って褒めてくれたことは覚えている。
 小学生時代は家の近所のお絵描き教室に通い、中学校と高校は美術部に入り、高校二年生の夏、デザイン関係の仕事に就きたいと思った。絵が上手なんだから、画家になればいいじゃん。と友達によく言われたけど、私は堅実な道を選んだ。好きなことをして食べていければ最高だと思う。でも、現実はそう甘くはない。
 私が進学した美術大学は、神奈川県の北西部にあるため、高校卒業後の春、埼玉県の実家を離れて、横浜市内にある母方の祖父母の家に移り住んだ。もうかれこれ、九年前のことになる。
 
 私の祖父母は、戦後の混乱期に小さな駄菓子屋を開業させて、三十五年間以上も夫婦二人三脚で駄菓子屋を営んできた。私が中学生の頃に、祖父母に駄菓子屋を始めたきっかけを尋ねたところ、戦争で大切な人を亡くされた方々に美味しい駄菓子を食べてもらって、少しでも笑顔を取り戻してもらえるようにとの想いから、自宅の一角を改築して、駄菓子屋を始めたとのことだった。戦争を知らない私でも、祖父母の想いはわかる。
 それが、とても残念で悲しいことに、昔ながらの駄菓子やおもちゃをこよなく愛し続けてきた祖父は、三年前の秋に不運な交通事故に遭って亡くなってしまい、私の面倒をよく見てくれた祖母も、二年半前の冬に肺炎で亡くなってしまった。祖父も祖母も、八十歳過ぎまで生きたし、駄菓子屋を始めてからは、ずっと平穏な日常生活を送ってこられたと思うので、それなりに幸せな人生だったのではないかと私は思っている。もしかしたら、空の上の世界で駄菓子屋を営んでいるかもしれない。そう思うと嬉しくなってくる。
 
 長年に渡り、この小さな駄菓子屋を営んできた祖父母の想いを大切にして、両親の猛反対を強引に押し切り、私が後を引き継いだ。大学卒業後に就職したインテリアデザイン会社を退職して、安定した生活を手放すことには勇気が要ったけど、祖父母の駄菓子屋を引き継いだことに後悔はしていない。なぜかというと、そんなに贅沢さえしなければ、ゆとりのある生活を送ることが出来るし、いろんな子供たちやお客さんと触れ合うことが出来るようになったからだ。そんな私の名前は、佐藤菓絵なので、駄菓子が好きなのも、絵を描くことが好きなのも、祖父母の駄菓子屋を引き継いだことも、定めだったのではないかと思っている。

 単価の安い駄菓子やおもちゃや文具類を売っているだけでは、駄菓子屋の経営は成り立たない。祖父母が遺してくれた駐車場の賃貸収入があるおかげで続けられている。
 私が祖父母の家で暮らし始めた頃には、半径二キロ以内に、五軒もの駄菓子屋さんが建ち並んでいた。しかしながら、コンビニの進出とともに駄菓子屋の数は減っていき、他の駄菓子屋さんは閉店に追い込まれてしまった。これからもっともっと努力して頑張っていかないと、明日は我が身だ。時代は昭和から平成に変わり、この小さな駄菓子屋も私もどうなっていくのかは、現時点では全くわからないけど、私がこの世に存在している限り、ずっと続けていこうと思っている。
 
 この小さな駄菓子屋の名前は『みんなのふっちゃん』ふ菓子が大好きだった祖父が名付けたらしい。営業時間は朝の十時から夜の七時まで。定休日は毎週水曜日。台風でも雪でも元気に営業。定休日以外の日は、よほどのことがない限り休まない。

 祖父母の家は築四十年以上の木造の平屋建て。屋根も壁も床もだいぶ傷んでいて、至る所から、ビュービューと隙間風が入ってくる。冬の間はとにかく寒くて寒くて、ストーブが欠かせない。風通しが良いので、夏の間は扇風機があれば凌げる。
 家はとても古いし、お店の広さは畳八畳分くらいしかない。エレガントな雰囲気が漂うオシャレなカフェとは大違いだ。それでも、小さな子供からお年寄りの方まで、いろんなお客さんが来てくれる。駄菓子問屋さんや玩具問屋さんから仕入れた商品を並べるのは楽しいし、新い商品が入荷すると、自然と心が弾んでくる。数ある駄菓子の中で私がいちばん好きな駄菓子は、五円玉の形をしている五円チョコ。なぜかというと、僅か五円でチョコレートを味わうことが出来るし、お金の有り難味が身に染みるからだ。私は今までに、五円チョコを何個食べてきただろう。優に一万個は超えていると思う。私の中では駄菓子の王様。食べ始めると止まらない。

 私が大好きな五円チョコの他にも、祖父が大好きだったふ菓子やうまい棒やポテトチップスなどのスナック菓子。祖母が大好きだったよっちゃんいか。お煎餅、クッキー、ビスケット、チョコレート、飴玉、ガム、水飴、キャラメル、ラムネ、ヨーグルト、ミニラーメンなどの駄菓子。コーラ、サイダー、オレンジジュース、イチゴジュース、メロンジュース、コーヒー牛乳などのドリンク類。あんず棒、チューチューアイス、カキ氷、ソーダアイス、バニラアイスクリーム、アイスモナカなどのアイス類。おはじき、コマ、ベーゴマ、ビー玉、お手玉、けん玉、ヨーヨー、めんこ、折り紙、ゴム風船、紙風船、水風船、水鉄砲、銀玉鉄砲、シャボン玉、花火、スーパーボール、カラーボール、プラスティックバット、野球カード、ミニカーなどのおもちゃ類。ガチャガチャに十円玉で遊べるコインゲーム機。スケッチブック、自由帳、お絵描き帳、筆箱、鉛筆、色鉛筆、シャープペンシル、プッチンペン、匂い付き消しゴムなどの文具類。この他にも、裏庭の家庭菜園で育てた野菜を販売していて、夏期間は焼きとうもろこしを販売し、冬期間は焼き芋とおでんを販売している。

 駄菓子とおもちゃの値段は、五円、十円、二十円、三十円、四十円、五十円、六十円、七十円、八十円、百円、百二十円、百五十円、二百円、二百五十円。いちばん高いものでも三百円。自家栽培野菜の値段は、一袋百円。焼きとうもろこしと焼き芋の値段は、一本二百円。おでんの値段は、玉子も大根も竹輪も厚揚げも昆布も白滝もこんにゃくもジャガイモもたけのこも、一つ五十円。人によって意見は様々だと思うけど、子供のお小遣いでも十分に楽しめるところが、駄菓子屋の最大の魅力だと私は思っている。




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