白くなったキャンバスに再び思い出が描かれるように
 意外だった、と言うより驚いたまさか沙織のお父さんも作家志望だったなんて驚いた。

 「でもね、文学部って外から見たらみんなその道を目指している様に思われがちだけど、そうでもなかったよ。君も解るよなこれは」

 「ええ、そうですね。文学部だから必ずしも文学を勉強する訳じゃないですからね。特に僕の主専攻は文学とは言えないですからね」

 「そそ、どちらかと言えば精神科の医師とか心理学者的な色合いが濃いからね」「確かに」

 「でもどうして作家の道を諦めたんですか」

 口に出してからちょっと迷ったが、お父さんはしみじみと答えてくれた。

 「ハハハ、それはね自分の限界を知ったからだよ」

 「自分の限界ですか」「そうだ限界だ」

 お父さんは学生時代ある小説の作者と出会っていた。それは自分が好きな作家であり自分が目標とする人でもあった。

 しかし、その作家と付き合う内にその人の広さ心の豊かさそして人間性の大きさに気づいた。そして懐かしむように

 「僕はねぇ、自分の書いた作品が、世間で認められていると思っていたよ。自慢するわけじゃないけど、大賞一作と佳作一作を受けていたからね」

 思わず頭が下がった。大賞をもらうほどすごい小説を書いていた何て、二度目の驚きだった。

 「でも、その人から言われたよ。浮かれるんじゃないって、今は賞を取っていい気かも知れないが、お前は誰のために物語を書いているんだってね。そして、君はたった一人の為に全身全霊をかけて物語を描けるかって」

 「たった一人の為にですか」

 「そうだ、一人の為にだ。しかも自分の命を削ってまでも」

 「そこまでして」

 「そう彼はそこまでして、自分の命を本当に削りながらその一人の為に小説を書いていたよ。その時僕は、自分の小説の甘さ、いや自分自身の甘さを痛感してね。

その人の図りしえない大きさを感じたんだよ。そして知ったんだ、その小説がその人が愛する人のために書かれていたことをね。彼は自分の命がもう長くない事を僕にも告げたよ。

それから僕は小説を書くのを止めた。自分が目標とする人があまりにも大きかったことに気が付いてね。それが限界だった」

 何時しか彼に寄り添うように、沙織のお母さんが座っていた。

 「またあの人の事」と優しくそして懐かしむように話した。
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