婚前同居~イジワル御曹司とひとつ屋根の下~
その途端にドクンと大きく胸が騒ぎ、記憶の断片が私の中に戻ってきた。


暗い夜空の下、樹さんの手に包み込まれている私の手。
こうして歩いていても見えないけれど、そこには確かに樹さんが嵌めてくれた指輪がある。


フワフワしていた現実が、一気に私に押し寄せてくる。
慌てて大きく顔を上げて、「樹さん」と呼び掛けたその時。
樹さんが、「くしゅっ」と肩を竦めて一度くしゃみをした。


「う~。寒」


そう言いながら軽く鼻を啜る樹さんの背を見つめながら、私は足を止めた。
私の手を引いていた樹さんが、つられて立ち止まる。


「どうした?」と軽い調子で振り向かれて、


「か、風邪引きますっ……。中に戻って話しましょう?」


そう言った私に、樹さんはフイッと顔を背けた。


「中はどこに行っても、誰か来そうだしな。……お前、寒い?」

「いえ、私は大丈夫ですけど……」

「じゃあ、このまま。二人でいたい」


思わずドキッとしてしまうことを簡単に言いのけて、樹さんは更に甲板のど真ん中に突き進んでいく。


確かに……ここから遠目に見えるプロムナードには、船内を見学する招待客の姿もある。
時折歓声も聞こえるけれど、吹きっ晒しの甲板には、私と樹さんしかいない。


――二人きりだ。
< 221 / 236 >

この作品をシェア

pagetop