いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
「あ、ハルくん?」
〝宇佐美くん、イキったせいで上杉部長から吊るし上げを喰らう〟
そんなトピックが持ち上がるのも時間の問題かもしれない。4階フロアに戻ったら、宇佐美くんが机横に立たされている。すぐ側では、上杉部長が椅子に足を組んだ姿勢でふんぞり返り、周囲はそれを遠巻きに眺めていた。
宇佐美くんは、どんな酷い事を言われたのか。
真っ先にあたしを見つけたのは、その宇佐美くんである。
「あ、林檎先輩。上杉部長からお土産もらったっすよ」と、陽気に手を振った。なんでそんなに明るく居られるの。ゆとりが過ぎるよ。こっちは重い空気を引きずったまま、宇佐美くんからお菓子を1つ渡された。宇佐美くんはさっそく包装紙を開いて食べ始めるけど、あたしには出来ない。
「全部、宇佐美から聞いた」
部長はデスクに寛いだまま、まるで何てこと無いと、落ち着きを見せていた。だけど許された訳ではない。その証拠に、彼は1度も目を合わせなかった。「おまえには他にもある」と彼は縦長の包みをデスクに乗せる。お酒だな。今流行りの凝ったラッピングではなく、折り目正しい包装紙に包まれてあった。それほど大きい物じゃないのに、現れた途端、その存在感は周囲の空気を変える。部長が選ぶ位だから、良い銘柄に違いない。あたしは、これを貰うに値する人間なのか。
「そうですか。こんな結果でも慰めて頂けるという事ですか。嬉しいです……って言うと思いますか」
逆ギレ。
宇佐美くんは素直に狼狽して、後ずさりした。だが部長はこの程度では動じない。ここで初めて目が合う。
「部長は何しに来たんですか。お土産渡すだけって、そんな訳ないですよね。これって同情ですか。それとも卑怯なアイツに代わって罪滅ぼしですか。まさか手心加えて、この企画にOK出そうとしてるんでしょうか」
みくびらないで下さい。
……泣くな、あたし。1度大きく息を吸い込んで、喉の奥をきゅっと閉めた。
上杉部長はそこでメガネ外して、「そうじゃないけど」と目頭を押さえて俯く。手に負えない、厄介な女。あたしはどう思われてもいいけれど、こんな、彼が言葉に迷う姿なんか見たくなかった。
「そんな遠慮しないで下さい。いつものようにダメ出し下さいよ。ヤラしい事ばっかり考えてるから盗まれる、脇が甘いクソ女、悔しかったらもっといい物出せってブン殴って、こっちが立ち直れないくらい、猛毒でブスブス刺したらいいじゃないですか」
上司が怒らないという理由で逆ギレする部下だった。そんな話聞いた事無い。さすがの宇佐美くんも、食べる途中で包装紙を口に放り込んだまま固まっている。
「俺に言えるのは」
穏やかに見せて眼差しは鋭い。あたしは息を呑んだ。
「逃げたのを久保田のせいにするな。例え丸ごと同じでも、胸を張ってみんなの前に立てばいい。何で、おまえは宇佐美にそう言ってやらなかったのか」
思わず言葉を失う。こっちが想像もつかない領域に、彼は喝を入れてくる。
「おまえは、あの場で宇佐美を転がしてやればそれでよかった」
宇佐美くんは……初めて挑んだプレゼンで、企画を盗まれるという理不尽を経験した。あのままやったら周囲の困惑に混乱して、バタバタして、ひょっとしたら責められて、彼は派手に大コケするだろう。大きな後悔。恥ずかしい思い。悔しいという刹那。そんな貴重な経験を、あたしは彼から奪ってしまった。
思い描く卒業に向けて、失敗の無い結果を残すというだけに固執していたから。
あたしは、まるで行き先を間違えた子供だ。
「宇佐美くん、ごめんね」
あたしはデスクを離れた。通路を抜けて階段に飛び込むと、まるで何かの罰のように、上へ上へ、駆け上がる。頬を濡らすのが汗なのか涙なのか、分からない。もうどれだけ階段を上がったかも覚えていない。昇っても昇っても、ゴールが見えない気がした。息が切れて、そこで諦めて踊り場の壁にもたれる。
あたしはスカスカだ。いつかの、部長の言う通りだと思う。彼とは、器の違いを歴然と感じた。それはキャリアというだけじゃない気がする。
あの人は自分が考えるよりも、ずっと高い所に居るんだな。

苦い涙と後悔と、お酒を浴びるほど飲んで、会社を休んだ次の日。
あたしは埼玉の実家に居た。
こういう時だけ家に甘える。中身も幼児体型なのかと突っ込まれたら何も言えない。そう言えば家を飛び出してから2カ月が経つ。すっかり夏が目の前だ。
妹2人がデキ婚で騒々しかった2カ月前、「おまえも急げ」と笑う両親に対抗、
「エラそうにっ!あんたらだってママだって、単にデキちゃって早まっただけでしょ!それって地味に間違えたバカじゃん」
酒の勢いも手伝ってそうブチ上げたら、親父に髪の毛を掴まれて家から叩き出された。そこから渡部くんに電話して車で迎えにきてもらって……そういう事をしちゃったからだな。美穂が疑うのも無理は無い。
ボロボロで里帰りした1日目、まぁまぁお客さん扱いされて、「唐揚げで、ちくっとやりな」と、元ヤンママは適度に優しい笑顔でもてなしてくれた。
だが2日目、すぐさま忘れ去られる。「車買おうよぉ。中古で18万」と、話題は妹2人が日常繰り返す車購入計画に取って変わった。訴える妹に向かって、
「そういうバカは旦那に言え。これがクールジャパンだ!」元ヤンパパは、ケッと吐き捨てる。その強面のままで生まれたばかりの孫に向かうもんだから、地獄的な泣き声でもって拒絶されていた。
そして3日目。朝から2度寝を貪っていると、足の踵で頭をゴリゴリされる。
「そろそろ会社行きな。啖呵切って出て行ったんだろ?筋を通してみんなに謝るか、意地を見せて突き通すか、どっちかにしな」
いつになく、ママの元ヤン語録が胸にしみる。言ってる事は間違ってない。
そして会社を休んで、今日で4日目。美穂と渡部くんからはLINEでいくつも来ていた。鈴木くん、宇佐美くん、その他同僚も電話くれたり、メールくれたり。
あたしが居なくても〝仕事の事は大丈夫だから。心配しないで〟言ってくれんじゃねーか。それが1番痛いと思っていたけれど、上には上がある。
彼、上杉東彦からは、連絡は何一つ無かった。思えばこれが痛い1番である。
「ははは、は」
会社を辞めようか、と考えたのは初めての事だ。こうなって初めて、あたしに泣き付いた後輩の気持ちが良く分かる。誰でもいい。話を聞いてくれる先輩にすがりたい。そういう存在って有難いんだなぁ。あたしの場合、そういう時こそ彼氏じゃないのか。目を閉じると、いつかのキスを思い出す。もう、どれほどお酒を飲んでも、甘く、とろけるように胸を温めてはくれなかった。苦い出来事と一緒になって、今も胸の奥につかえたままだ。
月曜日は会社に行く!そう決意した日曜日、あたしはマンションに彼を訊ねた。
午前11時。横浜にこの時間を狙ったら、埼玉は8時半には出なくてはならない。ディスりはしない。この街は好きだ。それでもそこら周辺と同じ関東圏だと主張するには抵抗がある。いつだったか、それをママに言ったら、「横浜ぁ?海があるだけだろ?あんなチャラチャラした奴らと一緒にすんじゃねーワ」と、別の意味で同じ関東圏だと主張する事に異議を唱えられた。
この所の雨続きの谷間にあたるのか、今日は朝から太陽が顔を覗かせている。
絶好の彼氏日和。
11時を少し過ぎた。
早くもすぐそこのレストランから美味しそうな匂いが漂ってくる。そう言えば……あの日もこの位の時間にマンションを出たな。
風景も、敷地内の木とか、草が生い茂ってるとか、気温とか、それ以外は何の変化も無い。今更どの面下げて……と思うけど、やってしまった事は元には戻らないから。せめて、これからリベンジする事を決意する所から始めよう。
失敗する奴らが羨ましいという彼だ。大コケしたあたしを、あのまま放り出すという事はしない気がした。だから、宇佐美くんだってそれほど強く叱らなかったし、あたしにもお土産を渡そうとしてくれたり。
行く前に連絡した方がいいかな。そう思ってスマホを取り出した。すると、偶然そこにやってきた女の子が、これまたあたしと同じようにスマホを取り出す。その子が超可愛い!電話する事も忘れて、あたしはしばらく見惚れていた。
腰、細っ。お花模様のガーリーなワンピースが良く似合っている。それほど風は強くもないのに、真っ黒な長い髪の毛がサラサラと揺れていた。スマホを操る指先、そのフレンチネイルもストーンが凝っているし、体中からは甘くて美味しそうな香りがする。もうこの匂いだけで、ちくっと、やれそう。
それに引き換え、あたしの身なりと言ったら……これが彼氏を訪ねる女の姿なのか。みっともなくは無いが、まるでチカラ入っていない。
その女の子と目が合った。にっこり笑って、彼女はぺこりと頭を下げる。
「あ、ハルくん?」
そこから彼女は通話に夢中になった。
偶然?
繋げようとした、こっちのスマホは不通で留守電に切り替わる。
「あーん」と甘い声を上げて手を振りながら、彼女がエントランスに駆け込んだ。あたしは咄嗟に、生い茂った木に隠れて様子を窺う。1度マンションに吸いこまれた彼女が、すぐに彼と腕を組んでそこから出てきた。そこからどんどん先を行く。背後に居る人間なんか気にも留めない様子だ。「これ、どう?」と彼女が着ている洋服を示すと、「とりあえずデカいな」と、彼はそこからポンと彼女の胸に触れる。「きゃッ。やだぁ」と、彼女の嬌声はあたしの耳にも届いて……まだ昨日の酒が残っているんだと、あたしは何度も頭を振った。次第に遠くなる後姿、それは間違いなく、上杉東彦……彼である。
部屋着以外の私服姿を初めて見た。白いシャツをゆったり纏い、ボトムはグレー、飾り気のない白いスニーカーが、軽快に見せている。オフの緩い感じが心地よく感じられた。ストレスなんて無さそう。
彼女居ないって、言ってたのに……ひょっとして、あれがキャバ嬢。あるいはセフレ。確かにそういう関係なら、彼女は居ないと言っても間違ってはいない。そう思ってみたら、あの匂いは強すぎた。普通の子にしては化粧も濃ゆい。
道の途中で彼女が荷物の中身を開いて見せると、それを覗き込んだ彼の表情に笑顔が広がった。あたしだけに見せてくれる笑顔だと思っていたのに……それが1番ショックだった。悔しいけど、お似合いだな。2人の姿は、まるで1枚の美しい絵画のような光景だと思う。心奪われている自分も情けない。
そこからお約束……思い付いて飛び込んだ居酒屋でガンガン煽った。
いぇーい!と手を振り回していたら、「お姉さんって、パーリーピーポー?」
久保田を凌ぐチャラい男がナンパにやってくる。
「あたし?埼玉のヤンキーだよ」
秒殺、男は遠ざかった。肩書きって、何て便利なんだろう。
何杯飲んでも、あの光景が目に浮かぶ。きゃっ、とか。あんな嬌声。あたしに出せるか?「き、きゃ。きゅっ?きゃあー」練習してみた所で無駄な事。周囲の飲んだくれが急に気を使い始めて、酔いが醒める勢いであたしと距離を取る。
着信履歴に3件、上杉東彦がエントリー。留守録、無し。
メールも3件、上杉部長がエントリー。どのメールにも〝明日は必ず出社しろ〟とあった。散々無視して、どんどんお酒を煽る。いつの間にか11時を過ぎた。
早いもんで、あれから半日が経った……すぐそこに現実が、明日がやってくる。
こんなんで、マジで明日会社行けるのかな。
こうなったらさらにもう一杯。もう一杯。ダメ出しのもう一杯。
午前0時。店を出たら、あたしに何の断りも無く、足がフラフラ勝手に動く。
この勢いで前ノリ、これから出社するか!
いぇーい!
< 30 / 34 >

この作品をシェア

pagetop