いつも酔ってる林檎さんが、イケメン毒舌上司に呪いをかけるお話
あのクソメガネが来るならあたし帰るっ。うぷっ。
パソコン起動。
宇佐美くんでも分かるワードとエクセル。
万が一出版したら、猿より説得力ある気がした。印税も、まぁまぁ期待できる。
さっそく1日目……ひょろりとした体型に茶色い髪の毛。薄っすいオーラを体中から発揮している彼は「宇佐美波瑠兎です」と名乗って、いきなり眠り始めた。
「ちょ、ちょっと」
いくらフレックスだからといって、9時を過ぎたら社員も殆どが出社してくる。そこら中の同僚に、何かを疑う眼差しで遠巻きにされてしまった。とりあえず眠気覚ましにコーヒーを淹れて……ついでに喫煙室をちらっと覗いたけれど、今日は〝アタリ〟で他社の男性社員で溢れている。肝心の上杉部長の姿は無かった。
眠気の収まらない宇佐美くんにもカップを渡して。
それで、何でこうなった?
「色んな人に怒られて。最後にドでかいの喰らって。ここ」
ゆとり世代。言ってはいけないと思いつつ、どうしてこう会話が単語的なのか。超難解な上司とのコミュニケーション、君はこれからどうやって渡り合って行くのか。だが聞けば、彼は上杉部長の第5営業部ではなく、その隣り第4営業部に食い込んでいる協力会社の新人くんらしい。従兄弟の叔父の兄貴のお嫁さん、というぐらい遠い。
それが、何でこうなった?
「だから怒られて。最後に」
またそこから始めますかぁ~。
思わず、項垂れた。
自己紹介。家族構成。協力会社の色々。宇佐美くんの、そんな不毛な話題にしばらく遊ばれてしまったけれど、かいつまんで言うと、所属会社の社長だという彼の父親に見離され、第4営業部からも爪弾きにされていた宇佐美くんを見兼ねて、第5営業部の社員がぽつぽつ面倒を見ていた所を上杉部長に咎められた。そこからあたしに白羽の矢が立ったらしい。……でもさぁ。
どうしてそこでわが社が、君の面倒を見なきゃならないの?そんな義理ある?
パパに頭を下げて出直すか、きっぱり会社を辞めて出直すか。
「うちのパパが、昔からここの社長さんと仲良しで」
そういう流れかぁ~。
思わず頭を抱えた。
「上杉部長が、何でもいいからプラン1つ作って来い、って」
それをクリアしたら第5営業部に入れてやってもいい……って、無謀が過ぎる。つまり、あの部長が納得するレベルにこの宇佐美くんを鍛えなければならないと言う事だ。後輩ヤリマン、本領発揮するにも程がある。
その日は宇佐美くんの実力を知る事に明け暮れた。彼はネット、ゲームは自由自在だったけれど、社会人必須のオフィス、ワード、エクセル、パワポがそっくり抜け落ちている。そこから始めるしかない。
そして2日目……そこから始める。
まず、この部署の一画に宇佐美くんのデスクをしつらえた。電話は出なくていい。来客は無視していい。何を聞かれてもあたしの名前を出せばいい。これだけ好条件の中で作業に集中できる職場は、他に聞いた事が無い。彼はその恵まれた環境の中で、ひたすら「面倒くさいっすね。マジっすか」と愚痴を言う。辞めます、って言わないだけ根性はある!ペンを甘噛みしながら、そう思う事にした。
この宇佐美くんを押し付けて以降、上杉部長は雑用を言って来なくなった。4階フロアにも姿を見せない。あたしは何度もムダに階談を上り下りした。顔を見て文句の1つも言いたくなる。部下の進捗具合を確認するのも、頼んだ上司の義務じゃないのか。これじゃまるで見捨てられたみたいだ。
気弱なあたしとは裏腹に、3日目、宇佐美くんは愚痴るのを諦めたらしい。
「林檎さん、とりあえずテキスト通りに作ったんで」と課題を見せてくる。
「おぉ」何とか出来ている。「うし。一週間でこの1冊終わらせようね」
林檎さん。林檎さん。林檎さん。宇佐美くんは1つ躓く度に、あたしのデスクに何度もやってきた。午後3時になって、あたしは進捗会議に出席しなくてはならない。宇佐美くんに課題のノルマを伝えて、デスクを後にする。会議を終えて戻ってきたら、「寝てました」と来る。何も手を付けていない。悪気も無く、しれっと白状しやがるな。
「でしょうね。ていうか、舐めてんの?」
元ヤンの末裔(?)、あたしの目ヂカラに恐怖を覚えたのか、そこから、すごすごと課題に取り掛かった。程なくして、「林檎さん」と、また来る。叱られたらしばらくは大人しく作業すると思い込んでいたのは間違いだった。今ちょうどノッてるとこなのに……データを保存して振り返ると、その宇佐美くんが居ない。
見ると、そこには渡部くんと美穂が仲良く立っていた。
「美穂さんの昇進祝い、今夜っすよ。覚えてますかぁ」
あー……ちょっと忘れてたかも。あたしとした事が、宇佐美くんに夢中で。
「今日は、じゃんじゃん飲みな。まゆが崩れると事件が起こって面白い」
「それが友達の台詞かな」
お酒のせいで、久保田にケンカを売った。そこから逆恨みされて3カ月。
お酒のせいで、親とケンカ。家出して、美穂のマンションに居候して1カ月。
お酒のせいで……次は何が降り被ってくるんだろう。そろそろ学べよ。
宇佐美くんを押し付けられたあの日はもちろん、それ以降も、全く飲んでいない。もう溜まりに溜まっている。今日の飲み会は同居人の美穂が居る。渡部くんも居る。どんなにツブれても見捨てられる事はない。こういう好条件が揃って初めて、安心して好きなだけ飲めるのだ。
「うし!今日は飲むぞぉぉぉぉ!」
この所の理不尽な状況も手伝って、腰を据えて本気で飲みたい気分だ。ちょうどそこに姿を見せた宇佐美くんに、「今日は終わろ。お疲れ様。また明日ね」景気良く言い放って、後片付けもそこそこ、あたしは会社を飛び出した。
思えば、一カ月ぶりの宴だった。
美穂の昇進祝いに訪れたお店は、渡部くんチョイスの居酒屋である。出てくる一品料理はその見た目も味も申し分ない。何よりカウンターに並ぶ日本酒のラインナップが麗しい。出来る事ならもう北から南まで、ずいーっと味わいたいっ。
瓶に見惚れて立ち止まっていると、「林檎先輩。はい撤収」と渡部くんに首根っこを掴まれて連れ去られた。「こらこら、先輩やで」扱いが雑過ぎるっ。
通された場所は半個室のような造りで、座敷でなくテーブル席なのがこれまた嬉しい。程なくして、美穂と同じ営業の同僚女性が2人、渡部くんの同期だという男性社員も2人やって来て、あたしを入れて総勢7人となった。
まずは美穂の昇進おめでとう。
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