アンフィニッシュト・ブルー(旧題 後宮)

もう彼が私を信じてくれることは二度とないだろう。
こんな寒い夜に彼はどこへ行くのか。こんな状況の彼に頼るべき場所があるのなら、はじめから彼は私の店などにやって来はしない。それでも彼は出て行ってしまった。

彼はどこに行ったのだろう。
彼が身を寄せた先が少しでも温かければいい。そこにいる人が彼に親切にしてくれればいい。
私はそう願うことで、自らの失態に対する罪悪感を少しでも薄めようとしていたのかもしれない。



自分の気持ちを何とか落ち着けようとしながら、二時間以上そうできないでいた私は、その時ふいに思い立って店の裏口の鍵をあけた。ドアはあけない。



もし、もしミハイルが、また食料や寝る場所に困ったら。
彼はもう二度と家を訪ねてくることはないかもしれないけれど、二階の住居ではなく店ならば、困ったときは立ち寄ってくれるかもしれない。そうなったら私は彼の気配に気付かないふりをしていよう。

彼が一旦後にした場所をまた頼るような人ではないと知りながら、それでも、なりふり構っていられなくなった時にはここに来て欲しいと、頼って欲しいと思った。


そうすることで、私は少しだけ自分の中の罪悪感が薄らいでいくのを感じた。
自分の浅ましい自己満足に苦笑しながら、キッチンに戻って使った食器と小鍋を洗い始めた。

ざあざあとシンクに落ちる水音を聞いていると、少しずつ仕事の感覚が戻ってくる。


私はこの店の店主だ。

この場所に根を生やし、きっと一生ここにいて、今まで繰り返してきた暮らしをこの先も繰り返して行くのだろう。少しずつ、少しずつポトスの鉢を増やしながら。
それが「私」だ。この数週間が特殊だっただけで、私はこれまでもこれからもその暮らしを続けていく。そう生まれついているのだ。


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