君じゃなければ


母親譲りの美しくて柔らかい声。

でも、優しさに溢れている声。


私がこの声を聞き間違えるはずがなかった。



『郁…?』



もう飛行機でいってしまったはずの郁が目の前にいた。


『お姉ちゃんっ!どうしたの?お腹痛くなっちゃったの!?』


郁は心配そうに私の側に寄り添ってくれた。



『い…郁?郁…郁だ…』



どうして…どうして……


聞きたい事も言いたい事も山のようにあるのに、何も言葉に出来ない。

郁がいてくれるだけで嬉しくて、私は郁を強く抱きしめた。



『痛いよ…お姉ちゃん…。』


『ごめん、ごめんね…。』



郁が目の前に…側にいてくれるのに…何故か涙が止まらなかった。


『泣かないで、お姉ちゃん。』


『うん…うん…。』


『お姉ちゃんが泣いたら、僕は…何の為に外国に行くのか分からないよ。』


『え……?』



何の為に…?

私はゆっくり郁の体から離れた。


『どういう…事?』


郁はハッとしたかのように、慌てて手で口を覆った。

でも私は聞いてしまったから…


『郁…?何を隠してるの…?ねぇ…』


聞かずにはいられなかった。

郁は少しだけうつむいてから、私の目を見つめた。


『お姉ちゃん、あの人達嫌いでしょ…?』


郁の言う“あの人達”、それは両親を意味していた。

私がお父さん、お母さんではなくたまに“あの人達”と言ってしまうので、郁にもそれがうつってしまったのだろう。


『僕が家にいたら、あの人達はちょくちょく帰ってくるし、そしたらお姉ちゃんは嫌な思いをする事になるし…』


だから……


『だから外国に行くの?その方が私の為にもいいって…あの人達が言ったの!?』


私の為に、四歳も下の弟は誰も知り合いのいない国にいこうとしている。

あの人達ならそういう汚い手を使ってきてもおかしくない。

姉である私の為だと言って……



『違うよ!』


『郁…!』


『僕がそうしたいって思ったんだ。』


そう言った郁は守られてばかりの可愛いだけの弟ではなかった。



『僕がお姉ちゃんを守るから!』



小さくとも強い立派な弟だった。
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