君じゃなければ
施設に帰り着いたのは、門限の五分前だった。

ぎりぎりの帰りではあったが、遅れたわけじゃない。

それに久しぶりに母に会ったのだ。

きっと施設の人も寛大な心で許してくれるだろう。

自分の都合のいいように考えながら、俺は受付窓口の扉を開いた。

すると………


『あ、見てみて!このCM好きなのよねぇ。』

『えー、そう?私はイマイチだわぁ。』

『だってこっちの男の子がぁ……』


中年のおばさん二人が、わいわい座談会中だった。

どうして女の人は話す事が尽きないのだろう。

おばさん二人の座談会はこの後も続いた。

俺は話を折る勇気も、どう折ったらいいのかも分からず、ただおばさん二人の話を後ろで聞いていた。

俳優の顔はいいが、演技が下手。

商品の良さが伝わらないなど…おばさんの意見は手厳しい。

そして話は俳優の相手役に変わり……


『だいたい隣の女優が綺麗過ぎるもの。美男美女のCM見せられたってねぇ。』

『あら、やだ!あの人は女優じゃないわよ!』

『え?そうなの?』

『そうよぉ、知らないの?有名なソプラノ歌手・一ノ瀬マリアよ!』

『ああっ!その名前は聞いた事あるわ!』

『そりゃそうよ。それに、この一ノ瀬マリアの子どもでしょ?この前のトラックに事故に巻き込まれたって。』


…………え?

それまでどうでも良かった話が、急に俺の胸をかき乱す。


『えぇッツ!?そうなの!?』

『この辺じゃ有名な話よ。一ノ瀬マリアの子どもが事故にあったって。』

『そうだったの…災難だったわねぇ。』

『そうねぇ、しかも弟さんの方は一ノ瀬マリア似の綺麗な声だったとか。けど、その事故のせいで……』



聞いてはいけない。

そんな気がして、とっさに耳を塞ごうとするも……




『声を失ったんですって。』




俺は聞いてしまった。

そして知ってしまった。


『ええ?でも、あなた何でそんなに詳しいの?』

『だって、最近ここに入ってきた子の……そう言えばあの子遅いわね。もう帰って来るはずな……あっ!』

『あらやだ!朝日君!』



俺はその場から動けなくなっていた。

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