~団塊世代が育った里山から~
タイトル未編集
~団塊世代が育った里山から~
高野 竜太郎

里山の原風景 「序章」
                  
波の荒い日本海岸より数十kmほど内陸部に入った信濃の国との国境付近は、遠くは大昔の時代から街道を歩いて旅する人たちに、雪の深さと渓谷の険しさが災いをして困難を要する難所の峠が待ち構えているのです。
難所に差し掛かる手前の集落は歴史的な背景で由緒のある、神社があって宿坊と宿場でにぎやかに栄えていたこの地で、団塊世代が生命を受けて大自然のなかで育った里山なのです。

里山の家並みの中央を曲がりくねって貫く街道を、旅人が歩く道脇に遠くからでもわかるように土を寄せて盛り上げた一里塚が、歩く距離を測るための一里の間合いごとに造ってあるのです。
小高い土盛りの上には築いた塚の崩壊を根で防ぐ、エノキや松が植えてあって歩く里程標の目安にしたのです。

宿場までの街道には松の木が定間隔で植えてあって、枝葉は旅人に夏の暑い日差しを和らげる日の当たらない場所をつくってくれて、道中の休息やニワカ雨の雨宿りの場所になるのです。
雪が激しく降る日はどこかしこも真っ白に見えて、吹き抜ける地フブキで前が見通せなくて難渋をする旅人が、街道から外れて雪野原に迷い込んで迷わないことを防ぐために、松の木と一里塚は目印になるのです。
歴史のある昔からの街道は、江戸や領地へ行き来する参勤交代の殿様や行列に従う家来たちも、松並木や一里塚が大きく役だったことと思うのです。

修行僧が荒行を行う道場の霊山を、過ぎ去りし時代の密教修験者や里山の人々が、長いあいだに渡って崇拝と畏敬の念を持って麓から仰ぎ見ているのです。
修験者たちが命も落としかけない最も危険に満ちた山頂は、無数の巨岩が連なるなかで不思議な形の大岩の上に建立したホコラにご神体がマツってあるのです。

里宮の奥の院として山頂にマツってあるご神体は、裾野が両腕を広げたように見える山頂から下界に住む俗世間の人たちに、だれかれと分け隔てなく温かく包み込むように見守ってくれているのです。
孤峰で鎮座する霊山の周りを数々の連なる山々で囲む中央で、リンとしている姿はお釈かさまがハスの花ビラのなかで、座禅を組み手のひらをあわせているように見えるのです。

南北を通る街道の東側に建つ家の裏は、四季の変化によって色を変える緩やかな傾斜で続く田んぼが向山まで広がっていて、西側は畑が続いた先に杉林のコズエの上に雪の積もった霊山が青空にとけこむ麓の街道に、カヤブキ屋根の家が両脇に軒を並べて続き信濃の国へと細長く続いているのです。

里山では田畑で収穫できる米や野菜ばかりでなくて、霊山が擁する大自然の恩恵は暮らしに必要な物を平等に分け与えてもくれるのです。
家を建てる必要な建材は、平らな石を集めて地中に埋め込み基礎石に使って、自然木は用材になって骨組みを造り、すいた紙は障子紙になって部屋を仕切ってくれるのです。
屋根をふくカヤは、カヤ場で刈り集めて囲ったカヤニオ「円すい状」で自然乾燥させてからふくと、油分が多く雨を弾き流してくれるのです。
雨風をしのいでぬくもりのある土壁は、粘土質のベト「土」を切りワラを混ぜて良く練って、アシと根曲がり竹を割って格子状に編んだ間に塗りこめて仕上げると、調湿性があって風通しのいい土壁が完成なのです。
通気性と断熱性に優れた建材を使うカヤブキ屋根の家は、材料の調達は入会権などのルールがあるものの大自然でとれるものがほとんどなのです。

日々を暮らす生活に一番に必要とする水と火は、湧き出る水を水路に流して飲み水や洗い物に使って、煮炊きと暖房に必要なマキは雑木林から切り出して燃やすのです。
ご飯のオカズ「副食」は、山菜やキノコに木の実を採って食べて、動物性タンパク質の欠乏を補う獣肉や川魚なども捕って食べるのです。
里山で暮らす人々は、自然からの恵みを多種多様にわたって授けてもらって、お互いを助け合あって生きていくのです。

家のなかは昼でもうす暗い茶の間「居間」の真ん中の、四角くいヨロリ「いろり」のなかで断ち割っていない丸ごとの木の根が、チョロチョロトと燃える炎は赤くくすぶっているのです。
時たま燃える炎が線香花火のようにパチパチと弾けて火の子を飛ばす音や、行事や催事にともす和ローソクの芯がジッジッと炎が揺らめきながら燃える音がするのです。
家は石を埋めた上に柱を置いた粗末な基礎で、床下から入り込む隙間風がゴトンゴトンと帯戸を揺らす音と、ゆがんだ引き戸の隙間から風が吹き込み笛の音のようにヒュゥーヒュゥーと鳴って、静まり返った家のなかは小さな音がアッチコッチでするのです。

早春と晩秋の季節が変わるころは、ゴォ~ゴォ~と木々のコズエを強く弱く揺らしながら林を吹き抜ける風の音が、見えない恐ろしいものが空中を通り過ぎて行く音に聞こえるのです。
冬の長いあいだは積もる雪が閉じ込める家にこもっていた子供たちは、早春になると軒先に出てにぎやかな声で遊ぶようになるのです。
あたかい南風が吹いて屋根に積もった雪がとけて、軒先に飛び出た不ぞろいなカヤの先からポッチョンポッチョンと水滴が落ちて積もった雪にいくつもの丸い穴をあけて、落ちる水滴の音を聞きながら太陽が照らす水滴はキラキラと七色に光って、ひと粒ずつ落ちるのを小さな眼で追っているのです。

小川が流れる音は真冬では雪に埋まって聞こえなかったのが、春の温かさで雪がとけて流れる音が聞こえ出すと、里山の人々は言葉に表せない喜びで心が弾む思いがするのは冬の厳しい暮らしを過ごした者にしかわからないのです。
里山に住む人々の生活は決して豊かなでなく貧困が極まりないのですが、春夏秋冬の四季に渡ってユックリと流れる時間が、子供たちに感性を豊かに純真でおおらかに育ててくれるのです。
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