~団塊世代が育った里山から~
晩秋
錦絵のようにキレイだった紅葉が終わって、木々の葉が落ちた晩秋の枯れた草野原にわたる冷たい空気のモヤが、薄く地に低くはってユックリと流れていくのです。
冷え込みが日増しに強くなって鉛色の空になると、外で遊ぶ子供たちの元気な声が次第に聞こえなくなるのです。
荷物を満載した大八車や時折通るボンネットバスやトラックで、踏み固めた街道を北風があおって砂ぼこりが波のように空中を舞いあがり、軒を並べて連なるカヤブキ屋根の家がかすんで見えるのです。
同じ造りで街道を挟んで向きあったカヤブキ屋根は、所々に青くコケが生えていてペンペン草「ナズナ」が生えて立ち枯れているのやら、カヤが抜け落ちて雨漏りでもするのか部分的に波トタン板をかぶせてある屋根があるのです。
収穫が終わった家々では、それぞれに息づいて寄り添うように音のない世界で、やがてやってくる冬将軍の到来に静まり返っていて、最近は頻繁に近所のあいさつ代わりに使う会話は、「チベタイ 風が吹くと サァビィ~ ネャ 早々と カネックリ が軒下にできて エルスケ ジギニ エギ が降るね」と、モンペに白いエプロンをしたオンナショが立ち話をするのです。
早い時間に訪れる日暮の冷え込みで、ヨロリ「いろり」の火床で火を燃して暖めだしたのか、夕食のご飯を炊くカマドに火を入れたのか、セイロオケガマ「風呂釜」に火を燃やしてセイフロ「風呂」のヨ「湯」を沸かし始めたのか、夜の寒さを迎える家のなかのさまざまなところで火を燃やすのです。
一軒また一軒と軒下から青白い煙がユラユラと立ち登って、夕暮れで青黒く変わった空へ広がっていくのです。
大荒れをする冬の日本海は外気より暖かい海水で、シベリア大陸から吹く冷たい北風が水面を渡って水蒸気をたっぷり含んだ雲は霊山の裾野にぶつかるのです。
ぶつかった雲は上昇気流が押し上げて、上空の冷気でさらに冷えた水蒸気は雪へと姿を変えて、里山の大地にユラユラと舞い落ちて次から次と積み重なっていくのです。
雪を降らせる前の風は空へ突き刺さるように伸びた杉のコズエを、大きくに小さく繰り返しゴォ~ゴォ~と吹き抜ける音をさせて揺れているのです。
その風が突然に吹くのをやめて静かになると、北の空から徐々に重そうな鉛色の雲が低く垂れこめて雪が降ってくるのです。
霊山の麓に毎日のように雪は多量に降り続けて、地上にあるすべてを覆いつくし白銀の世界に変え地上に雪を振り落として、身軽になった風は信濃の大地を凍らせ遠くは上野の国で冷たいカラッ風になるのです。
まだ根雪になっていない冷え込んだ田んぼや畑の地表は、長雨で緩んだ豊かなベト「土」が泥状になって、収穫の慌ただしさの痕跡である足跡や農機具を置いた跡がくぼみとなって凸凹状に凍り付いているのです。
飛んできた大小の枯れ葉がくぼみに折り重なり、やっと落ち着ける場所ができたと吹きだまって、降ってくる雪の下でほうじょうな大地に戻るのを静かに待っているのです。
細い氷の柱が規則正しく束になった霜柱が、大地のズレの様に黒いベト「土」を持ち上げて白く冷たく光っているのです。
静かなは夜長は遠くから肌を刺す冷たい風にのって聞こえる、蒸気機関車の寂しげな汽笛の音がポォ~ポォ~と低い余韻が長く聞こえるのです。
やがて踏切の警報音がけたたましくカァ~ンカァ~ンカァ~ンと聞こえると、レールの継ぎ目を通過する音が地面を伝わって枕元に規則正しくゴトンゴトンと聞こえるのです。
重い車両を支える大きな車輪が、カーブを曲がる度にレールのきしむ音がキキィ~キキィ~と悲鳴をあげていたのが、徐々に遠ざかって行きだんだんと聞こえなくなって静かさが戻るのです。
里山の人たちは、四季を通して自分の体調や自然現象と動物たちの変化で、天候を推測して農作業や山仕事の予定を立てるのです。
西の空から途切れ途切れに聞こえる遠雷の音が、夏の威勢の良い響きをどこかに隠してしまったかのように鳴り出すと、人々は雪降ろしと称して初雪の降ることを予測するのです。
遠雷のする音の強弱と方向を聞き分けて、降る雪はそのうち消える雪と根雪になる降り方の判断を、雪国生活者が予測できる知恵が昔から受け継いでいるのです。
里山で暮らす古老は、「オラァ~ガ ワケェショウ の頃に山仕事で ヒザッカブツ 石に ブッツケテ サラニ ヒビエンテカラ エツマデ タッタッテモ 治らんので サブグ なると エテェグ ナルンダワ」と、膝が覚えていて「コンダ フルエギハ ケエルゴト ネェクテ メエニチ フルユギ で ネユキ に ナンド」と家族に冬支度をせかせるのです。