Open Heart〜密やかに たおやかに〜

だから、シュウちゃんが宮本くんに
「ええ、今日は用もないので行けます」
と返事をしたのを聞いて、自分の耳を疑ってしまった。

「こりゃ、嬉しいな。じゃ、4人で行きますか」
宮本くんは、山田課長に頭を軽く下げて先に歩き出した。同じくマキも山田課長にお辞儀をして宮本くんの後を追っていく。

山田課長に手を握られている私は、山田課長の顔を見上げた。
「樹里、後で電話する。じゃあな」
そう言って、私の拳を持ち上げ指先の爪辺りに一度キスをしてから山田課長は私の手をようやく離してくれた。

「…うん」
頷くのがやっとだ。それでも、駅の方面へ向かう山田課長を、なんとか作り笑いを浮かべて見送った。


すぐ近くに立つシュウちゃんの前で、爪にまでキスされてしまったのだ。

かあっと熱くなる体。嫌な気持ちと恥ずかしい気持ちが、ごちゃ混ぜになり、立っているのもやっとなくらいだ。

早くこの場から逃げ出したい。

急いでマキや宮本くんの後に続こう、追いつこうと早足でなる。

後からシュウちゃんがついて来る気配を感じていた。

早くマキに追いつかなきゃ。
そう思って更に歩調を速めた。

「宮路」
後ろから私を呼ぶ声が聞こえてくる。

弾かれたように振り返ると、当たり前だが、そこにはシュウちゃんの姿があった。少し困ったみたいに眉毛が下がっている。

「…はい」

「あんまり急がない方がいい」

「え? あ、はい」
言われている意味がわからず、首を傾げた。
注意された矢先、歩き始めた私は何もないところで、ヒールのつま先をひっかけてしまう。

「うあっ!」
みっともない声をあげて、前のめりになる体。でも、すぐ私の隣に来てくれたシュウちゃんが腕を掴んでくれたので、私はどうにか転ばずに済んだ。

「ほら、急ぐと危ないだろ」

シュウちゃんに腕を掴まれたまま、私はシュウちゃんの顔を見上げた。

いつもそう。
ドジな私を気にして、注意をはらい、守ってくれていたシュウちゃん。

私とシュウちゃんは、無言のまま歩道に立ち止まり目を合わせていた。

街の中に流れるクリスマスソング。クリスマス色に染まり始めたショップの飾り付け。

もう少しで、クリスマスなんだ。

シュウちゃんの後ろにある景色を見て、私は今更、世の中がクリスマスに近づいていることを知った。
色々なことが起こりすぎて、季節まで忘れていた気がする。

ぼんやりと、シュウちゃん、そして目に映る景色を眺めていた。


シュウちゃんは、こんな私をまだ気にしてくれている。

目の前でキスされた元カノ。
もう、別れたんだよ。

部下だから?
ただ、上司だから、そんな理由で、まだ私に優しいの?

泣きそうになっていた。
シュウちゃんが、こんな私に、まだ優しい声をかけてくれるものだから。

腕に感じるシュウちゃんの手の温もり。

「じゅ…」
かすかに聞こえた。
シュウちゃんをじっと見上げ続ける。

今、私の名前を呼ぼうとしてくれた?
いつもみたいに甘く優しい声で。

私、今なら戻れるの?
また、シュウちゃんの隣にいられる?

確かめるみたいにしてシュウちゃんの瞳を見つめた。


でも、
「課長、樹里〜、何してんのぉ」
マキの声が聞こえてきて、私は現実を、自分が置かれた立場を思い出していた。


見ると前を歩いていたマキと宮本くんが、手を振り私達が来るのを待っている。

忘れてしまうところだった。私達は、別れたのだ。お互いに正しい道を進むために。



「課長、ありがとうございます……」

それでも、気持ちがうまく切り替えられない。シュウちゃんを課長としか呼べないことをとても悲しく感じてしまう。

終わった恋だと決めたのだ。諦めた恋なのだ。
私はシュウちゃんを諦めたのだ。だから、もうシュウちゃんには頼らない。頼ったりしちゃいけない。


シュウちゃん の手を柔らかく押し返し、私はマキ達の方へ肩に力を入れて歩き出した。

もうニ度とつまずいたりしないように注意しなければならない。泣き出したい気持ちを必死に隠して前を向く。

私はシュウちゃんを、戻らない過去を振り返らない。そう誓った。


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