エースとprincess

「なんでもないです」

「嘘つけ」 

 頬をつねられて、外そうとしたその手が逆に捕まった。指先を握られたまま、瑛主くんに聞かれた。

「俺に関わりたくないって、思ってる?」

「どうしてそんなこと。思うわけないじゃないですか!」

 きっぱり言い切る。
 そばにいたくて、もっと近くに行きたくて、でも今はそのときじゃないと言ってきたのは瑛主くんのほうだ。異動してきたばかりだから、職場恋愛なんてありえないと。

「距離を置いたのはそっちなのに、なんでそんなこと聞いてくるんですか。まるで関わってほしいみたいな言いかたして、それで煮え切らないまままた遠ざかるんでしょ。手口ならもう知ってます」

 掴まれていても足なら動く。あとさき考えずにえいっと、つま先あたりを踏んづけてやった。ヒール攻撃でなかっただけよかったと思いなよ、ふん。
 掴まれていた指先が緩んだすきにそこから逃れ、二、三歩あとずさり、肩からずり落ちたバッグをかけ直す。瑛主くんは驚いた顔をしている。まさか踏まれるとは思っていなかったらしい。ふふーんだ。



「普通、踏むか!?」

「えー? 踏んじゃってました? ごめんなさーい、気づかなくって」

「一応、俺、上司なのに……」

「自分の都合で役職持ち出さないでくださいよ、主任サマ」

 ぴしゃりと言い放つと、さすがにもう引き留めてはもらえなかった。ああこれは失敗したかなあ、と帰りのバスのなかで思っていた。でも明日からまたがんばろう、くらいのニュアンスで。本人も言っていたけど、上司だからまた会社で会える。
 スマートフォンがメッセージの着信を知らせたのはそんなときだ。

『遠ざかろうなんて思ってない。デートしたい』

 その文言からはじまる続きを知りたくて、メッセージを表示させたけれど書かれていたのはそれだけだった。そういうことは会っているときに言ってよ、と打ってみたものの、送信せずに消去する。
 既読無視を決め込んだのが功を奏し、翌朝、会議室に呼び出された。
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