エースとprincess
「すみません、すぐに戻らなきゃいけなくなっちゃって」

 私は勢いよく頭を下げた。

「急な仕事でも入ったのか」
「そんなたいしたことじゃないんで。おふたりで楽しんできてください」

 いぶかしむ瑛主くんに慌てて言い繕う。すぐに戻らなきゃいけなくてたいしたことじゃない用事ってなんだよ、と我ながら思う。聞かないでー、詳しくは聞かないでー。
 じりじりとあとずさりをするあいだにも手のなかのスマホに返信が届き、あっほらねという顔を作ってみせる。あたふたあたふた。


 ふたりを残してホテルを出て、バスに乗ってからも私は落ち着かなかった。『了解』と返事を寄越してくれたあきちゃんにもう一回メッセージを送る。
『やっぱ戻るよーん。君の顔が見たくなったから。でも遅くなるから俺に構わずさきに食べてて。早く会いたい』
 そうして今度はアドレス帳を立ちあげる。亀田すみれの名前はまだ残っていた。そりゃそうだ。消した覚えはない。名刺だってデスクの引き出しにまだ残っていると思う。目を閉じてガラス窓に額をくっつける。

 ……忘れてくれているはず、ないよね。初めましてって言わなかったもんね。ため息をつきそうになる。
 あの場にいたほうがよかったんだろうか。いたらそれなりに気を遣って話してくれていたかもしれないし、黙っていてくれたかもしれない。そうだよ、私、選択肢を間違えた。

 スマホにあきちゃんからもう一度返事が届いた。
『愛してるわダーリン』
 ノリのいいあきちゃん、大好きだ。私もすばやく『俺も』と返した。今はランチのことだけを考えよう。お腹がすいた。
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