むらさきひめ~死にたがりの貴方へ

しきメール5

 その瞬間。
 世界が、変わった。
 
「…………!」

 轟、と風が吹き抜けた。
 吹きすぎた風が、周囲の光景を塗り替えた。
 夜の公園が、一転した。
 見上げる夜空から、星々が消えた。
 足元の大地は、砂利の敷き詰められた地面へと。
 街灯もベンチも、立ち並ぶ木々も消えて、ただ一面何もなくなった灰色の世界へと。

「ああ……」

 僕の世界が、壊れる。
 壊れていく。
 振り返る。
 僕の背後には、彼女が立っていた。
 僕を――連れて行ってくれるはずの、その少女が。

 
「君が……死姫さん?」

 僕は、その少女に呼びかける。
 小柄で、ほっそりとした女の子。僕の肩くらいまでしかないんじゃないだろうか。
 長く伸ばした黒髪。薄く紫がかった、セーラー服姿。
 僕と同い年くらい……それとも、少し上なのかもしれない。年齢なんて、どうでもいいのかもしれないけれど。

 大きな黒い瞳が、じっと僕を見ている。
 まるで吸い込まれそうだった。
 不気味で不吉な、幽霊やお化けに近い存在のはずなのに――何でだろう。それほど、怖くはない。

 彼女は、ひとりじゃなかった。
 傍らには、背の高い男の人。僕よりずっと年上だ。
 長い黒髪を、後ろで縛っている。時代劇で見るような、サムライみたいな格好。
 その色は、女の子よりも更に深い紫色。その腰に刀がなくて丸腰なのが、逆におかしかった。

 もうひとりは、小柄な少女より更に小柄な男の子だった。小学生くらいに見える、パーカー姿の可愛らしい少年。
 もしかしたら、中性的な女の子かもしれなかった。
 目にかかる少し長めの髪は、少し白みがかって見える。

「僕を、迎えに来てくれたんだね……」

 携帯電話をズボンのポケットにしまって、彼女達に近付いていく。

「あなたは、死にたいの?」

 彼女が口を開いた。
 透き通った、とても綺麗な声。浮世離れした……それは、当然か。彼女にとても似合っていた。
 その声で、尋ねられて。

「……そう、だよ」

 僕は、少しだけ躊躇してから答えた。……躊躇、どうしてだろう。まだ、迷いがあるのだろうか。彼女に連れて行ってもらうことに、少しだけのためらいが。

「どうして?」

「……どうして、って」

 彼女の続けられる問いかけに、よみがえる思い。それが、ためらいを振り払った。

「もう、たくさんなんだ。たくさんなんだよ!」

 気が付けば、僕は叫んでいる。
 ……ああ、何だかとても久しぶりだと思った。
 嫌なこと、辛いこと、哀しいこと、全部何もかも押し殺していたのに。かみ殺してきたのに。今……その感情を、大声で荒げているんだから。

「みんな、僕を傷付けるだけなんだ!」

 母さんと先生は、やりたくもない受験勉強を押し付けてくる。

「誰も、僕をわかってくれないんだよ!」

 父さんは、仕事にかかりきりで僕のことなんてほうりっ放しだ。

「誰も、誰も……僕を助けてくれないんだよ!」

 親友だったあいつも。
 好意を持っていたあの子も。
 みんな、僕を傷つける。
 全部、僕を追い詰める。
 だから。
 だから……

「死にたいの?」

「そうだよ……!」
 そう叫んだ、次の瞬間。

「え?」

 頬に、熱いものが走った。
 
「……え?」

 振り切られた、彼女のほっそりとした手。
 その手に見惚れてしまったせいで、理解が遅れた。
 それでも、呆然と立ち尽くす僕は状況を理解していく。
 いきなり近付いてきた彼女が――
 僕の頬を、張ったんだ。
 
「どう、して……?」

 怒るよりも、予想もしない彼女の行動に困惑してしまうだけだった。頬を押さえて、後退る僕を、彼女はじっと見上げてくる。
 その無表情から、彼女の感情はわからない。

「少し、苛立ったから」

 静かに、口を開く。
 その声には言葉の通り、ほんの少しだけ棘があった。

「はん、だったら放っておけばいいのにさ」

 割って入る声。少女の背後に立つ青年だった。
 殊更に肩を竦めて、彼女に言葉を投げる。

「なあ、主殿?」

「そうもいかない」

 主殿と呼ばれた少女は振り返らずに、僕を……いや、僕の背後に視線を向ける。その瞳が、きっ、と吊り上がった。
 背後から、何か冷たい空気を感じる。
 今度こそ、背筋がそそけ立った。

 振り返ると、少し離れた場所にも、また人影があった。こちらはブレザー服に身を包んだ少女。真っ黒いブレザーは、薄暗い中でも、尚一層に色濃い、
 長い黒髪の、ほっそりとした身体つきで、彼女は少しだけ年上なんだろうか。
 浮世離れした空気は、先に現れた少女にも似ている。
 似ている――けれども、決定的に違う。
 僕を見る瞳は、まるで血の様に真っ赤だった。その口元に、薄く浮かぶ笑みも不気味すぎる。

「……!」

 その少女を前に、僕は腰が砕けそうになった。足がすくんで、身体中が凍りつく。怖い。とてつもなく、怖い。身体が強張って、息すらできなくなる。
 心臓をわしづかみにされたとしたら、こんな感じになるのだろうか。

「……あ、う」

 そんな僕をかばうように、彼女が立つ。
 それだけで、少し呼吸が楽になった。
 

「呼んでしまったから」

 
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