二階堂桜子の美学
第一話 二階堂桜子

 自画自賛という言葉がある。世間一般に使われるとき、この四字熟語はあまり良い意味では使われない。とりわけ日本人には『恥』の文化が根強く、謙譲こそが美学・美徳であり至高のような風潮が跋扈している。
 しかし、その美学こそが美を磨く妨げになっていると二階堂桜子(にかいどうさくらこ)は考える。個人を理解し個人の価値観を確立できる最大の人物は自分自身であり、自身で卑下するようなことはプライドが許さない。謙遜するのは自分に自信がないことの裏返しであり、本当に美しい人間ならば胸を張って美しいと言ってしかるべき。
 生まれついて美しいということは才能であり、これに磨きを掛け伸ばしていく事が努力であると思う。この努力の賜物でもある自身の心身を誇り、自賛することがどうして憚られよう。美しいということこそ女性に生まれてきて目指すべき頂であり存在理由。
 そうして、日々たゆまぬ努力をしている自分こそが最強の美の象徴であり、その美を圧して男女問わず畏怖せしめ従わせるも、宿命とすら言わざるを得ない。
 
 名門、二階堂家に生まれ育ち十八年。桜子は自身の信じる道をひたすら進み生きてきている。その信条に間違いがないことを示すかのように、桜子の周りには同じ価値観を持つ者が集まり、美を追究することに手抜きはされていない。
 美とは外見はもちろんのこと、内面から溢れる気品も加味されるものであり、それは文武に優れることも美の一部とされ、賢さや健やかさえも美と捉えられている。
 高校三年生、最初の中間テストの結果が広報室前に張り出されると、悲喜こもごもする生徒をよそに桜子グループは従容とした様子で結果を確認しに行く。校内の誰もがその存在感と美貌に立ち向かえず、教員すら声を掛け辛いオーラを発していた。
 桜子の通うこの私立紫光(しこう)高校は有名大学合格者は多数輩出する名門校で、学歴はもとよりスポーツにも力を入れている。校訓が『強く自由に美しく生きる』となっており、校風も明るい。通う生徒の家柄も反映しており、多額の寄付等で近代的な校舎となっていた。桜子の親族も理事をしており、そういう点においても校内での居心地は悪くない。
 張り出されたその学年順位トップが誰なのかは分かっているものの、桜子たちは美の確認として必ず見にきていた。一位に記されている二階堂桜子という名を確認すると、学友の不二早百合(ふじさゆり)が驚嘆の声を漏らす。
「まあ、桜子さんがまた一位。おめでとう、桜子さん」
「ありがとう、早百合さん。早百合さんこそ三位と好成績。私もうかうかしていられないわ」
 桜子は早百合に微笑む。早百合は言葉遣いも丁寧で桜子と似たような雰囲気を持っており、一見おっとりした性格と思われがちだが負けず嫌いな面が多々あったりする。
「私はまた二位。桜子さんには敵いませんね」
 麻生椿(あそうつばき)は笑顔ながらも悔しさをにじませる。二位とは言っても桜子とは二十点近くの開きがあり、椿も内心は手が届かないと理解していた。
「私は九位。辛うじて一桁とは言え、数学のケアレスミスが大きく響いてしまったわね」
 そう言った九条美和(くじょうみわ)だが、順位につきそこまで拘っていない様子でさばさばしていた。桜子グループでは文武の文より武の方に秀でており、短距離走においては桜子も美和にはお手上げ状態だ。
 椿と美和は桜子を尊敬し立てていながらもケースに応じてラフな受け答えをし、早百合はお嬢様らしく礼儀を大切にしている。そんな三人を桜子も好いており、お堅い名門進学校ながら日々穏やかに過ごせていた。

 順位を確認すると桜子は悠然と歩きながら教室へと向かう。その歩く姿は立てば芍薬の諺よろしく、百合の花が風を受け揺れる様のようである。
 教室に戻ると三人と趣味の話や人気スイーツの話題に花を咲かせる。入学当初は男子生徒から口説かれるようなこともあったが、桜子の持つ高貴なオーラやハイレベルな会話について行けず門前払いが通例となっていた。
 桜子としても自分より頭の悪い男と付き合うつもりは毛頭なく、この在学中に誰かと付き合うということはおそらくないだろうと踏んでいる。なにより、桜子には小学生の頃より秘めた想いを抱いている相手がいることも大きい――――


――十年前。夏休みを利用し二階堂家は軽井沢の別荘へと避暑に赴いていた。三百坪の広大な敷地に真っ白な別荘が映え、さながら異国の地のごとき雰囲気をしている。
 二階建てその別荘は洋風で、内装は温かさ溢れる杉の木が多く使われている。物心ついたときよりこの別荘を利用していた桜子は、この木造が放つ雰囲気と香りが好きで、心身共にリラックスできていた。
 桜子の一家は、父正親(まさちか)と母京香(きょうか)、姉綾乃(あやの)の四人家族。綾乃とは八歳差で物心ついたときより面倒を見て貰っている。
 京香は元来物静かで桜子についても、まともに子育てらしいことはしていない。事業が多忙ということもあるが、自身でそれが向いていないことを理解していた。そして、その母親の代わりをしてくれたのが姉の綾乃であり綾乃との距離は一番近かった。
 そのせいか両親とは仲が悪いこともないが、どこか好きになれず少し距離をおいている。美への追求とそれに至る考え方は、この綾乃から教え込まれたもので、綾乃自身高校生ながらプロのモデルとして活躍していたことも大きい。
 別荘での生活中、家事や身の回りのことは全て地元のお手伝いさんがこなす手筈になっており手も掛からない。毎年恒例となっており、世話をしてくれるお手伝いさんとも顔見知りとなっている。中でもお兄さん的存在の隼人(はやと)と同年代の瑛太(えいた)兄弟は小学生に上がった頃から交流があり仲も良い。
 荷物を置くと早速別荘を飛び出し大自然の中へと向う。燦々と照り付ける真夏の太陽遮る林道を、桜子と綾乃は手を繋いで歩く。空を覆い隠すごとき茂る枝葉のお蔭で、涼しく心地よい気持ちで歩みを進ませる。
 別荘から少し歩いた場所には小川があり、二人は一時の清涼を求め川を目指す。木々の合間からは小鳥のさえずりがこだまし、自然のBGMが心を穏やかにする。美味しい空気を満喫しつつ元気よく歩いていると、綾乃が話し掛けてくる。
「桜子にちょっとお願いがあるんだけど、いいかしら?」
「お願い? なに?」
「川に着いたら、一時間くらい一人で遊んでて欲しいの。でも、危ないから川に入ってはダメよ?」
「うん、分かった。お姉様はどこに行くの?」
「ちょっと買い物にね。でも、お父様とお母様には内緒にしたいの。だから、一時間、川で一緒に居たってことにしておいて欲しいの。いいかしら?」
「いいよ。お姉様のお願いだもん。桜に任せて」
「ふふ、ありがとう。助かるわ」
 笑顔になる綾乃を見て桜子も笑みを浮かべる。大好きな綾乃が笑うと桜子も自然と嬉しい気持ちになる。
 川に到着すると綾乃は手を振りながらすぐにその場を後にした。少々寂しいものの、大好きな綾乃のためと思えば我慢もできる。
 大きめの川石に座り耳当たりの良い川のせせらぎを聞きながら、ボーっとする。都会の真ん中で育った桜子には、この川の流れがとても心地よく思え凝視してしまう。
 ときたま目の端に映る小魚がまた刺激的で、触りたくなる衝動を抑えながら見つめる。観察しつつふと背後を見ると、足元に綾乃が忘れていったであろう白いハンドバッグが目に入る。
(お姉様、買い物に行くって言ったのにバッグを忘れてる。急いで届けてあげなきゃ!)
 ハンドバッグを肩に担ぎ辺りを見回すと、綾乃が歩いて行った川沿いに向かい歩みを進めた。

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