二階堂桜子の美学
第二十六話 再会

 ミルキィの夏季休暇は夏休み序盤に設定されており、お盆中には通常営業する配置になっている。軽井沢の別荘に行かなくなって以降、二階堂家の夏休みは大抵海外で過ごすのが通例となっており綾乃も必ずついて行く。しかし、今年は受験の年ということもあり、桜子は日本での避暑を提案した。
 受験と言ってはみるも桜子はケンブリッジ大学への特別枠入学が決まっており、パーソナルエッセイを提出するくらいしかやることはない。それでも勉強は常にしておきたいので、怠けず自分磨きに専念していた。
 有難いことに今年の夏は暑くなるのが早く、急に決めた軽井沢行きだったが桜子の意見がすんなり通る。予想をしていたことだが、両親のみならず当然綾乃も軽井沢について来ることになり、警戒心を持たれている可能性も念頭に置く。ただ、幸いなことにデザイナーとしての新作発表があり、綾乃は数日遅れる可能性があると聞いた。
 綾乃も軽井沢に来るということは散歩等について来る可能性が高く、いかにして一人の時間を取るかが重要になってくる。仮に瑛太と川で会っているところを見られたとしても、偶然会ったと言い逃れることはできる。ただし、その場合自分の本心を伝えられる機会はその場限りとなり、もし告白する前に綾乃が現れると失敗となる。

 秘めた想いを抱きながら訪れた久しぶりの軽井沢に桜子はドキドキしている。赴く前からハウスキーパーが入り、別荘内はくつろぐための状態が完全に出来上がっていた。滞在中のお手伝いさんには瑛太の母である久子も来ており、その懐かしい顔に桜子も本心から嬉しくなる。
 綾乃に気づかれないよう、それとなく瑛太のことを聞くと予想通り二、三日中に帰って来ると聞き、作戦通りに事が運んでいると実感する。願わくば綾乃が到着する前に瑛太がやって来てほしいと切望しながら内心そわそわしていた。

 翌日、午前中はしっかり勉強し、正午からは散歩に出掛ける。今のところ綾乃が来るという連絡もなく、思いのほか桜子は自由に振る舞えた。
 思い出の小川に向かうと桜子は辺りを見渡す。瑛太が帰省するのは明日以降と分かっているので、気をつけるべきはトラウマになっている猪のみとなる。懐かしさをかみしめながら川岸を歩いていると、綾乃が隼人と会っていた小屋が見える。
(あの小屋で綾乃と隼人さんが不倫をしてた。小学生だったけど、あの光景は忘れられない。そして、その隼人さんは行方不明。綾乃の行動が何か鍵を握っているとしか思えない)
 何もないとは思いつつ小屋に近付くと窓ガラスから室内を覗く。中には伐採作業用の工作機が見えるだけで人影はない。
(夏休み間、綾乃はよく単独行動をしていた。普通に考えて良いイメージは沸かない)
 綾乃のことが気になりながらも小屋を後にし、あまり記憶のない上流の方へと足を運ぶ。奥深く進み遭難したり、猪や熊と遭遇しては困るのであくまで川岸のみを歩く。歩き疲れ大きめの岩盤に座り川を眺めていると、上流より小学生くらいの男の子が歩いてくる。手には釣竿とバケツが握られており、ここに何をしに来たのかが一目で分かった。
「こんにちは!」
 桜子の近くまで来ると少年は元気よく挨拶する。半そで半ズボンと真っ赤な帽子が印象的で、とても健康そうに見える。しかし、挨拶とその顔を見た瞬間、桜子は驚き立ち上がる
「えっ、もしかして健太郎君!?」
「あっ、誰かと思ったら桜子お姉ちゃん。ここで何してんの?」
「散歩よ。今は休憩中」
「そうなんだ」
「健太郎君は、ここら辺に住んでいるの?」
「うん、夏休みになるとよく魚釣りに来るんだ」
「今日はもう釣れた?」
「それがまだなんだよね。やっぱりお兄ちゃんのようには上手くいかないよ」
「お兄さんがいるの?」
「うん、この上の方で釣ってる。釣りも上手いけど、運動神経も良くって、料理もできる。お兄ちゃんはなんでも出来るんだ」
 楽しげに兄自慢をする少年を見て桜子は温かい気持ちになる。
(私もこのくらいのときは綾乃を心底尊敬してたな。今となっては幻想だったと思っちゃうけど)
 ニコニコしながら見ていると、健太郎の膝が擦りむけているのに気がつく。
「その膝、どうしたの?」
「ああ、さっき転んだんだ。ほっとけば治る」
「ダメよ。消毒して包帯しないと」
「大丈夫だって」
「ダメ!」
 大きな声で言われ、健太郎はビクついている。
「しばらく下ったところに小屋があるから、そこの水道で傷口を洗いましょう。私が絆創膏持ってるからそれで包帯代わりにするわ」
 桜子の強引な勧めもあり、健太郎はしぶしぶ小屋へと行く。小屋の前には水道があり、無断ながら使用し傷口を洗い流す。可愛いうさぎ絵柄の絆創膏を膝に貼ると桜子は立ち上がる。
「これでよし。もう大丈夫よ」
「大袈裟だな~」
「大袈裟じゃないわよ。自然界には恐ろしい細菌がウヨウヨしてるんだから」
「はいはい」
 信じていないのか疎ましいのか健太郎はまともに耳を貸さずそっぽを向いている。
(このくらいの子じゃ知らないのは当然か)
 呆れながら見ていると背後から声を掛けられる。
「おい、けん、こんなとこで何やってんだ?」
「あ、お兄ちゃん。桜子お姉ちゃんに膝の手当てして貰ってたんだ」
 健太郎が兄と呼ぶその相手の方を振り向くと、そこには見慣れた瑛太の顔があった。

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