二階堂桜子の美学
第七話 変貌

(綾乃お姉様! なんでここに!?)
 さっきまでのドキドキ感が消え、桜子の中には緊張感と焦燥感が溢れ出す。海外帰りらしく、夏でありながら首に巻く真紅のストールが美しく映えている。そして、その手には見覚えのある白いハンドバッグも見てとれ、綾乃であることを再確認させた。
 桜子の目の前まで来ると綾乃の方から口を開く。
「久しぶりね、桜子。それと瑛太さん。二人とも大きくなってて見違えたわ」
「お帰りなさい、綾乃お姉様」
「お久しぶりです、綾乃さん」
 挨拶を交わすと、綾乃は二人の間に割って入る。
「瑛太さん、久しぶりに姉妹水入らずで話したいの。お席外して貰えるかしら?」
「分りました。失礼します」
 綾乃の言葉で瑛太は素直に去って行く。瑛太の姿が見えなくなった瞬間、頬に強烈な刺激が走り桜子はその場で倒れ込む。一瞬何が起きたのか理解出来なかったが、綾乃の手の平を見て察しがつく。
「五年間で随分腑抜けたようね。男性と気安く話さない、何度も言ったわよね?」
 力任せに放たれたビンタにより桜子の口内からは血が出ている。
「それと、瑛太さんとは親しくしないようにとも言っておいたはず。どういうつもりかしら?」
 高圧的で鋭い目つきの綾乃を見て、桜子は恐怖心に包まれる。
(綾乃お姉様怖い。まるで人が変わったようだ。逆らっては何をされるか分からない……)
「ごめんなさい。仲良くなりすぎて忘れていました」
「立って」
 素直に立ち上がると再度ビンタをされる。予想できていたこともあり、今回はその場で立って耐える。
「どうすれば良いか、言わなくても分かるわよね?」
「はい、もう仲良くしません」
「言葉も交わしてはいけない。いいわね?」
(言葉すら交わせないなんて、それは流石に……)
「それは……」
 言い返そうとした素振りだけで綾乃は桜子を張り倒す。桜子は再び河原に倒れ膝と肘を擦りむく。今まで叱責されることはあっても直接暴力的なことを受けたことがなく、綾乃の豹変ぶりに桜子は戸惑う。
(なんでこんなことを。まるで綾乃お姉様じゃないみたいだ。五年間で一体何が……)
 現状が全く理解できず、口や手足の痛みと恐怖心で涙が溢れてくる。無意識に立ち上がろうとすると綾乃が近付き肩を押して倒す。
「誰が立てと? そこに正座なさい」
 真夏の川岸に正座するという行為がどういうことか容易に想像でき、桜子の顔からは血の気が引く。しかし、見下ろす綾乃の雰囲気からして、とても拒否できない。
 皮膚に突き刺さるような砂利の熱さを我慢しつつ、桜子は大人しく正座をする。
「桜子、貴方は名門二階堂家の娘なのです。あのような者と関わってはならない。関わっても必ず良いことにはならない。このことは前にも言いましたよね。覚えていますか?」
「はい」
「覚えているのに関わった理由は何?」
(瑛太君が好きだからなんて言ってはいけない。私だけじゃなく瑛太君にまで被害が及ぶ)
「長い付き合いで親戚みたいな感覚でいました。今後、このようなことがないように致します」
「そう、ならもう同じ目線で話したりしないように。ただし、命令したり使ったりし使い捨てにする場合なら構わないわ」
「分りました」
「重ねて言っておきますが、私たち二階堂家は選ばれた人間。あの者たちとは格や美学が違う。その意識を強く持ちなさい」
「はい」
「立っていいわ」
 焼けた砂利で肌が赤くなっておりヒリヒリするが、痛みを顔に出さず普通に立ち上がる。綾乃はその姿を見てから話し掛ける。
「桜子、これからは私が貴女を再教育するから覚悟しておくのよ。どこに出しても恥ずかしくない立派な令嬢にしてあげるわ」
 笑顔で語る教育論を桜子は不安な気持ちで見つめる。そんな二人の様子を瑛太は木の陰からじっと見守っていた。

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