二階堂桜子の美学
第六話 失踪

 翌朝、ベッドの端で眠る瑛太を起こし無理矢理部屋の外に出す。着替えを済まし洗顔しにリビングの前を通ると、正親と京香がコーヒーを飲んでいた。
 両親が帰ってきていると言うことは、綾乃も帰っているということが推測でき、瑛太を部屋の外に出した選択にホッとする。
「おはようございます。お父様、お母様」
 桜子が挨拶をするとソファに座るように言われる。瑛太との件がバレていて怒られるのではと勘ぐるが、正親から予想外のことを切り出された。
「綾乃は二年間海外留学することになった。今朝早く訪英したから、今後は綾乃抜きの生活になる。居ないからと言って怠けたりせず、ちゃんと勉強するんだぞ」
「はい、分かりました」
 深い理由を聞こうと一瞬考えたが、桜子にはある件が頭を過ぎり口を閉ざす。洗面所で顔を洗いタオルで拭いていると、久子が現われ桜子は自分の考えが正しいかどうかの推測を確かめる。
「久子さん、今日隼人お兄様と買い物に行きたいんだけどいい?」
「あ、ごめんなさい。隼人は仕事でしばらく帰らないのよ」
「昨日までは居たのに?」
「ええ、急な仕事でね」
「夏休み中には帰ってくるの?」
「ごめんなさい、たぶん難しいと思うわ。夏休み中は瑛太が暇だろうから、瑛太に付き添ってもらって」
「分かりました、ありがとう」
 笑顔で礼を言って洗面所を後にするが、内心はざわざわと浮き足立っている。
(たぶん小屋でのキスとかがバレたんだ。それで罰として離れ離れに。綾乃お姉様、二年も帰ってこないなんて、寂しいな……)
 物心付いたときからずっと側にいた綾乃が急に居なくなり、桜子は抑圧感が薄まる想いと寂しさの混ざる不思議な感覚に陥っていた――――


――五年後の夏、中学一年生となり、美しさに磨きのかかった桜子が別荘に降り立つ。正親の教え通り勉強のみならず、稽古事も精力的にこなし、自他共に認めるお嬢様となっていた。
 二年で帰ると言った綾乃が帰ることは未だなく、桜子はある意味自由気ままに過ごす。綾乃が優しく尊敬すべき姉という点に変わりもないが、反対に叱られることもないのでストレスからは完全に解放されていた。
 別荘に入ると久子が笑顔で歓迎し、奥のキッチンからは瑛太が照れくさそうに手を挙げている。瑛太とは別荘に来る度に親密さが増し、桜子の中でもその存在はかなり大きくなっていた。
 小学生のときは同じくらいの身長だったのも今や完全に追い抜かれ、瑛太は立派な大人に見えたりする。ただ、中学生ともなると互いに異性としての接し方が生まれおり、小学生のときのような感じにはいかない。

 昼食を済ませると桜子は恒例となった小川への散歩へと出かける。久子に行き先を告げると、付き添いとして瑛太が呼ばれる。本人は面倒くさがっていたが、桜子はこうなることを読んだ上で久子に報告していた。
 小川までは特にこれと言った会話は無く、到着し川岸にしゃがみ込んだところで瑛太が話しかけてくる。
「足痛いのか?」
「ううん、川を間近で見たいだけ。東京では見れないから」
「そっか」
「うん」
 二人の間に沈黙が流れ、今度は桜子から切り出す。
「瑛太君、迷惑だった? 私への付き添い」
「別に、桜子のおもりは昔から慣れてる」
「おもりって、まあいいわ。実際、いろいろ助けてもらってるし。一年ぶりだけど、瑛太君、背伸びたね」
「まあな。桜子は相変わらずチビだな」
「相変わらず口が悪いわね。なんでそんなに突っかかってくるのかしら?」
 やんわりたしなめられ居心地が悪いのか瑛太は顔を逸らす。
(身体は大きくなってるけど、中身は変わらないわね)
 溜め息を吐くと立ち上がり川下へと下って行く。瑛太は黙ったままその後ろを付いて行く。しばらく歩いていると川幅の広い場所に出る。そこには中州が見られ桜子はそこへ行こうと歩みを進める。しかし、川岸の時点で瑛太に腕を掴まれ制止される。
「瑛太君?」
「危ないから」
「平気よ」
「俺の言うこと信用できない?」
 真剣な眼差しを向けられ桜子は堪らず視線を逸らしてしまう。
「ごめんなさい。行かないから、手、離して。ちょっと痛い」
「ああ」
 力強く握られた腕の痛さと温かさに戸惑っていると瑛太が口を開く。
「先週台風が来て、増水気味なんだ。中州が川に飲み込まれるのに一分かからないこともざらだしな。今度落ち着いたら一緒に行こう」
(本当に危なかったんだ。瑛太君、本当に心配したからあんなに強く。嬉しい)
 幼少期より知り合って数年になるが、桜子の中では瑛太は掛け替えのない存在となっており、機会さえ合えば自分から告白しても良いとすら考えていた。
 ただ、綾乃が口を酸っぱくして言っていたように、瑛太と自分とでは家の格が違い過ぎており、綾乃は当然のことながら両親からも否定される可能性が高いとも考える。複雑な考えが頭をよぎり黙り込んでいると、瑛太が心配そうに顔を近づけてくる。
「桜子? 大丈夫か? 腕、そんなに痛かったか?」
「う、うん、平気よ。大丈夫、ありがとう」
「そうか」
 ホッとした瑛太の笑顔を見て桜子は胸の奥がドクンと跳ね上がる。
(ダメだ私、瑛太君好き過ぎて胸が破裂しそうだ。ずっと我慢してたけど、今回の夏休み中に告白しよう。また一年間もやもやした気持ちで過ごすなんてできないし)
 覚悟を決めて瑛太を見つめていると、瑛太が桜子の背後を注視していることに気が付く。気になって振り向くと、そこには美しい笑みを浮かべながらこちらに歩み迫る綾乃の姿があった。

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