イジワル御曹司に愛されています
たった一歩
目と鼻の先だった都筑くんの部屋まで、手をつないで歩いた。彼は振り返らず、なにもしゃべらず、私に背中を向けて少し前を進む。

浅く指を絡めた熱い手。トクトクと脈打っているのは、私のほうなのか、それとも両方なのか。

ドアを開け、室内に入ったとき、都筑くんが振り向いた。


「あの…やっぱり、やめてもいいよ、その、無理しないで」


遠慮がちに言う顔を見上げる。その瞳から、さっきの熱が消えてしまったのではないことを確認して、私はほっとした。

なんと言ったらいいのかわからず、黙って首を振る。都筑くんは安心したように、「よかった」と微笑んで、私の頬に手を当てた。

顔のラインをなぞって、指が耳をくすぐる。


「やめてもいいとか」


あ、と思った瞬間、傾けられた顔が、天井の灯りを遮って。


「言ってみただけだから」


都筑くんの唇が、私の口に重なった。


彼は部屋の電気をつけなかった。玄関先での優しい、そっとしたキスの後、短い廊下をまた手をつないで導き、室内に入ったところで、今度は長い長いキスをくれる。

私は、予想と違うな、とぼんやり思っていた。もっとなにか、やりきれない感情みたいなものを、ぶつけられると覚悟していたのだけれど。

都筑くんの触れ方は、優しくて、ためらいがちですらあって、はけ口になろうとしたはずの自分の立場がよくわからなくなる。

ふいに両腕で抱きしめられた。注がれるキスを、顔を上向けて受け止める。

背中に回った手が、私の服をたくし上げて素肌に触れる。その先に進んでもいいか許可を求めているみたいに、控えめに。

そのとき初めて、都筑くんの舌が唇を割った。こっちも同じ。"いい?"って聞いているような、妙に生真面目で行儀のいい、でもまっすぐな要求。


「なに笑ってんの」

「ううん」

「あ、しゃべった」


都筑くんがいたずらっぽく口の端を上げる。


「俺、ひとりでしゃべらされるのかと思った」

「なに話していいのかわからなかっただけ」

「なんでもいいよ、なにか言ってて」
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