世界が終わる音を聴いた
芦原陽奈子
それは、5年前にこの世を去った3歳違いの私の姉。
新しさを感じるお位牌の、その人だ。
つい6年前は、共に食卓を囲み、軽口を言い合って、この家で育ち生きてきた、私の姉。
ご飯を食べながら思う。
父に、私の命は……等と話したらどうなってしまうのだろう。
母には、反射的に話してしまったけれど。
姉を“亡くした”その時の両親の姿を思い出す。
そして同時に、“亡くす”と知らされたとき、つまり医師からの“余命宣告”をされたときの両親を想像した。
冗談でも、それは言うべきではなかったのかもしれない。
食事を終え、お風呂に浸かって眼を閉じた。
あの出来事は事実だ。紛れもなく、現実だった。
けれど……それはとても現実的ではない。
人の命の期限なんて、わかるものじゃない。
「だって、ヒナちゃんだって、10ヶ月って言われたのに……」
言われたのに、それよりもずっと早い3ヶ月で逝ってしまった。
お医者さんにだって明確に分かるわけじゃないことを、誰が分かるって言う?
それなら。
あの出来事か事実だとしても“彼”が言ったことは、デタラメだ。
そう結論付けて、私はお風呂から上がった。
他に考えなければならないことは、いくらでもある。
ずっとかかりきりだった案件が終わったばかりと言うことは、その後追いも必要だし、もちろん他の業務だってザクザク回ってくると言うこと。
やるべきことはたくさんある。
頭脳労働をしたら、きっとあの出来事は頭の隅に追いやられる。
“彼”のデタラメに翻弄されるよりも、この先、私がスキルアップするために必要なことを考える方が有意義だ。