イジワルな彼に今日も狙われているんです。
エレベーターを降りた先にいた私に気付き、驚いたように目をみはった尾形さん。

けれどそれは1秒にも満たない間のことで、それからすぐ、端整な顔にいつもの意地悪っぽい笑みを浮かべた。



「なんだよ木下、その反応は。失礼なヤツだなー」

「……ッ、」



偉そうに腕を組んで軽く屈みながら私を見下ろし、からかうようににやにやしている。

尾形さんの、そんな“今まで通り”の態度に。私は一瞬本気で、頭の中が真っ白になった。


……どうして。

どうして尾形さんは、こんなふうに、普通に私に接して来るの?

先週の、金曜日の夜──別れ際、私にキスしたくせに。


尾形さんにとってはあんなの、取るに足らないことなの? 彼女でもない私とあんなキスしたところで、いちいち気まずくなるような大した出来事ではないの?

それとも、もしかして……あれはただの、酔っ払って前後不覚になった故の事故みたいなもので。

尾形さん自身は、あのキスのことを、覚えていないの?



「……ぼーっとしてたら、いきなり尾形さんが目の前に現れたので。ちょっと、びっくりしただけです」



彼が乗って来た上りのエレベーターは、もうとっくに扉を閉めて行ってしまった。

テディベアの影でそっと下くちびるを噛みしめてから、私は努めて平静を装いながら言葉を返す。


そっか……そっかあ。尾形さん、あのことすっかり忘れてるんだ。

馬鹿みたい、私。勝手に意識して、気まずくなって。

初めて──だったのに。いくら相手が尾形さんとはいえ、ドキドキ、したのに。

どうせ深い意味なんてあるはずないって思いながら、それでも、理由をぐるぐる考えてしまうことを止められなくて。

次に会ったときどんな顔したらいいの、って。本気で、悩んだのに。

……全部、私のひとりよがり。

全部、無意味なことだったんだ。
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