できちゃった出産【ベリカフェ版】
 さて、話を元に戻しましょうか。「赤ちゃんの為ならどんなことだってできるでしょ?」という考え――というか、そういう念の押し方って、やっぱりどこかカルト宗教じみている気がするのですよ。

「辛い? 我慢ができない? あなた、赤ちゃんのこと考えてないの? 本当に考えているならできるはずだわ」という論理。これって、私からすると――。

「たかだか百万円のツボが買えないの? 素晴らしいご利益がある尊いお品なのに? 神様のことを本当に思っているなら、どんなことをしたって手に入れられるはずだわ」

ってのと、なーんか同じ匂いがして……。え? ぜんぜん違う話ですかね?(笑)

とにかくまあ、あれですよ(どれだよ……苦笑)。「素晴らしい母性があるなら、なんとでもなるだろ?」的な言い方も、「赤ちゃんのことが大事なら頑張れるはずだよね?」という圧力のかけ方も、「それってどうよ?」と思うわけです。

 その頃、ちょっとうんざりしていたのですよね……。妊娠中期に入ってから、自治体や病院が主催する母親学級に参加する機会がありまして。保健師さん(とくに古参の人)なんかが言うわけですな。「赤ちゃんも頑張ってるから☆ママもガンバ!」みたいなことを(汗)。

 もちろん、そういう励ましが心に響くという妊婦さんもおられるのでしょう。おそらく、そういった感覚のほうが一般的なのだろうなと思います。「頑張っているのはママだけじゃないよ。ひとりじゃないよ。赤ちゃんも一緒だよ」と。素直にそう受け取って元気になれるという人が多いのかなとも思います。

 ただまあ、私はそういうふうには捉えることができなかったという……。まったく、どこまでひねくれているんでしょうね。困ったもんだ(苦笑)

 そして、そんなときにたまたまテレビで知ったのが、ユニバーサルデザインという思想でした。ユニバーサルデザインというのは、決して障碍者や高齢者に特化した配慮ではなく、そういった方々も含めた「様々な(年齢、性別、人種など)人」が利用できる設計のことをいうのだそうです。

 例えば――スロープって、車いすの人だけでなくベビーカーの人も助かりますよね。まだ階段を上がれない幼い子でも、スロープだったら頑張って歩けるかもしれません。障碍の有無に関係なく多くの人が利用できる優しい設計というわけです。

 この話題を取り上げたテレビ番組の中では、ユニバーサルデザインとバリアフリーの相違点などにも触れられていました。そして、印象に残ったのが「弱者に優しい設計はみんなに優しい設計である」というコメンテータの方の言葉でした。なんというか、私は自分なりの落としどころを見つけた気がしたのです。

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