できちゃった出産【ベリカフェ版】
 私、母から一度も「孫の顔を見たい」と言われたことがないのですよ。「結婚しない人生も、出産しない人生も、それはそれでアリでしょう」というのが、私が母から継承した価値観でした。母自身は何の疑問も持たずに結婚して二児の母となったのに……(苦笑)。

 ちなみに、やはりというか私の妹も同じ価値観を受け継いでいるようです。結婚はしていますが子どもはいません。周りからは「妹さん、子どもは作らないの? できないの?」といった質問をされることもあります(苦笑)ですが、私たち姉妹にとっては「何が疑問なの?」という感じです。

 「結婚=パートナーと永遠の愛を誓って子どもをもうけること」という考えが主流であることは知っています。また、結婚と子どもは別という考えは、おそらく理解されにくいマイノリティであることも。結婚して子どもを産むことには理由なんて要らないけれど、産まないとなると説明を求められる世の中です。

 中の人が男性だと判明したとき、どこかほっとしている自分がいました。父性というのがどういうものかはこれまた謎ですが、とりあえず母性の問題からは少しだけ解放された気がしたのですよね。

 私、母性をもたない自分を蔑んでいるわけではないのですよ。でも、女の子が生まれたとして、娘が自分と同じような女性に育ってしまったら――そう思うと、けっこう苦しいものがありました。

 母と娘の関係って、女同士だからこその大変さがあると思うんですね。もちろん、だからこその素晴らしさもあるのだろうとは思います。ただ、私にとっては、子どもが異性であることは大きな救いだったのです。

 中の人のことを「子」というよりは「個」として捉えることで、私は母性の呪縛から逃れようとしたわけですが。子どもが異性であることで「個人を尊重しよう」という考えはいっそう強まったように思います。

異性 → 所詮はわからないもの → 他者

おそらくですが、こういったプロセスで私にとって都合のよい(爆)ほどよい距離感を設定したのだろうと。

 「異性のことはわからんよ」という割り切りは、けっこう使えるスキル(?)ですよ。ときには、子どもを夫にまかせる口実にもなりますし。育児がうまくいかず行き詰ったときも「誰も悪くない、私も悪くない。異性なんだからわからなくて仕方ない」などと、これまた都合よく自分を責めない方向でスルーできたりしますから。

 子どもって「授かりもの」であり「預かりもの」なんですよね。誰に託されたかといえば、それは――世の中だったり神様だったり宇宙だったり(えっ!)、いろんな言い方ができるのでしょうけれど。

 勇者はいずれ我が家というパーティを抜けて新たな冒険へと旅立って行く人です。まあ、昨今はなかなかそうはならず我が家にいつまでも残留するパターンもあるようですが(汗)

 とりえあず、縁があって結成されたパーティですし。互いに個人を尊重しながら、親分も子分もなく、仲間として横一列に並んでいきたいものです。

もっとも――ドラクエ的には縦一列にぞろぞろ歩いていくのでしょうけど(笑)

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