できちゃった出産【ベリカフェ版】
努力や工夫をするのであれば、育児を楽しむためでなく、自分にとって楽しい時間をすごすためにさせて欲しい。例えば――録画したBLアニメを(え?)ゆっくり堪能するための時間を確保する!そのために、子どもを早く寝かしつける工夫をする!とか(笑)。

育児を楽しめない=子どもへの愛情がない、というのは間違いです。大変なもんは大変。苦手なもんは苦手なんですよ。残念ながら、愛情が困難を打ち消してくれるわけじゃないんですよね。そして、困難を感じているからといって、愛情が不足していることにはなりません。まして、子どもへの気持ちが偽りなわけがありません。

愛情と困難が常に並立しているのが育児であり、そのジレンマに世のマジメな母親たちは苦しめられてしまう。そんな気がしてなりません。

私はバリバリのフェミニズム論者ではありませんが、やっぱりこう思うのです。「育児楽しんでね」というバカみてぇに高い要求は、完全に男社会の都合だよな、と。女性がニコニコ~キラキラ~っと育児を一手に引き受けてくれれば、男性は気楽ですからね。「女房は好きでやってんだから」と、堂々と飲みにいけるってもんです。

そうそう、まえにこんなことがあったんです。友人のお子さんの幼稚園が仏教系の幼稚園で。しかも、子どもの持ち物は手作り推奨というハードなところでしてね(汗)。御数珠を入れる数珠袋とか要るんですよ!それで、友人は好きでもない裁縫を頑張ってチクチクやっていたそうなんです。そうしたら、大変な思いをして作業している妻に向かって夫がこう言ったのだとか――。

「それも母の喜びでしょ」

私、よその旦那様なのに思わずぶっ飛ばしに行こうかと思いましたよ、ええ。つまりまあ、こういうことなんですよね。そりゃあね、母親は子どものために頑張りますよ。でもね、子どもへの愛情があるからって、嫌いな裁縫が楽しくなるわきゃないんですよ。んなこと、あたりまえだっつーの! あらやだ、私ったらもうまたこんな乱暴な言い方をして……(苦笑)。

子どもとの時間をめいっぱい楽しめてなくとも、普通につきあってあげていればそれで偉い。安全な環境を整えて、必要な見守りさえできていればOKなんじゃないですかね。たとえ――「子どもの相手、ちょい面倒だなぁ。だるいなぁ」と心の中で思っていたとしても、です。

育児楽しまなきゃと追い詰められてカリカリするより、自分の時間を作りましょうよ。大好きな深夜アニメを見れば元気が出て(え?)、子どもにだってちょっと優しくなれるかも。人間、楽しみが待っていると思えば頑張れたりするじゃないですか。

楽しむべきは、育児という作業ではなく自身の人生です。子どもの人生がかえがえのないものであるように、母親自身の人生もまたかえがえのないものです。決して粗末にされていいものなどではないのですから――。

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