テンポラリーラブ物語
「伊勢君、所有物になったからといって斉藤に支払いさせるんだな」

「何っ!」

「ジンジャ、止めて。氷室さん、今日はジンジャの就職のお祝いで私が誘ったんです。そんな言い方やめて下さい。まるで意地悪なガキ大将みたい。それじゃ失礼します。行こうジンジャ」

 なゆみはジンジャと手を繋ぎ、引っ張っていった。

 氷室はまたやってしまったと、自己嫌悪に陥る。

 好きな女性を取られて腹いせ紛れに暴言を吐いてしまった。

 さらになゆみが握っている手を見て、いつか自分が握っていたことを思い出し、やるせなくなってしまう。

 結局はいつもの情けない自分に戻ってしまっていた。



「ジンジャ、ごめんね。折角のおいしい食事だったのに」

 伏し目がちになゆみはしょんぼりとしていた。

「何言ってるんだ。謝るのは俺の方だ。俺が奴にちょっかい出してしまったから。でも、なんか少しひっかかることがあったんだ」

「どうしたの?」

「あいつ、なんだか……」

「何?」

「いや、なんでもない。それより、本当にありがとう。すごくおいしかったよ。今度は俺が美味しいところ連れて行ってやる」

「うん、ジンジャが就職してからでいいよ」

「それじゃタフクはアメリカじゃないか」

「だから、それまで一杯貯めておいてね。帰ってきたら毎日連れてって」

「毎日は無理だろ」

 ジンジャはなゆみの冗談で落ち着いていった。

 しかし氷室のことがまだ頭から離れないでいる。

 ジンジャが言いたかったことは、どこかで氷室はなゆみに好意をもっているんじゃないかと感じていたことだった。

 それはチケットを買ったときに会話を交わしてから感じた、ジンジャの勘のようなものだった。

 気のせいだと思いながら、ジンジャはなゆみの手を強く握ってしまった。

「ジンジャ、痛い」

「タフクの手は柔らかいからつい思いっきり握りたくなった」

 なゆみはにこっとしていたが、その裏でなゆみもまた氷室のことが気にかかり、宗教から助けてくれた時の事を思い出していた。

 危険を顧みずに自分のためだけに必死で立ち向かってくれた。

 手を繋いで、フィアンセのフリまでしてくれて。

 人の前では本心隠して、捻くれて憎まれ口をすぐに叩いて素直じゃないけど、いつだって困ったときは力になってくれて、時折見せる優しい心遣いと笑顔があった。

 あの時の心を開いて素直になっていた氷室が幻だったように、この日見た氷室は、以前の冷たいままの姿だった。

 なゆみはやるせなく、ぐっと体に力が入ってしまった。

 なゆみもまたジンジャの手を強く握り返してしまう。

「おい、仕返しか?」

 なゆみはただ笑っていた。

 笑うことでしか自分の感情を誤魔化せなかった。
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