最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
馬車の中




カタカタと揺れる馬車の荷台で目が覚めた。

何度も修繕を重ねているらしいぼろぼろの幌が見える。それから、人の気配も。
臭くて暑苦しい。しかも板間に直接寝かされていたのか、全身が痛い。
だが、驚いたのはそれだけではなかった。
なんと目の前に、気を失っているらしいステラ嬢の顔があった。
愛らしい顔に目立った傷はなかったが、汚れた板間に寝かされているせいで白い肌が汚れてしまっている。

イザベラは混乱した。
恐らく自分は、山賊に浚われたのだろう。他でもないステラ嬢の手引きによって。

(なのに何故、彼女まで縛られているの?)



「目が覚めたかい」

ステラ嬢と同じように腕ごと胴を縛られている状態で困惑していると、しゃがれた声がかけられた。
横になったまま視線を上げると、まさに山賊然とした男がイザベラの顔を覗き込んでいる。
その顔には見覚えがある。
ステラ嬢の庭園で使用人のお仕着せを着ていたあの男である。

「頭が痛いわ」

容赦なく殴ってくれたお陰で、それなりに時間が経っているだろうにまだずきずきと痛む。
イザベラが睨みつけると、男は笑った。

「威勢のいいお姫様だな。さすが炭鉱の国のイザベラ姫だけある」
「俺達みたいな柄の悪い男なんて見慣れてるってか」
「そこで寝ちまってるお嬢ちゃんとは違うなあ」

げらげらと下品な声が上がる。
自国の炭鉱夫達は確かに見た目はいかついが、柄は悪くない。心外である。
腹は立つが、それよりも聞きたいことがある。
イザベラは肩と腰を使ってなんとか上体を起こした。
見渡す荷台の中には、大小様々な荷物が置かれていたが、恐らく寝床にするための大きな布と絨毯が一番場所をとっている。この荷馬車で生活しているのかもしれない。
それから、四人の男達が視界に入る。皆一様に、山賊然としているが、着ている服は質が良さそうだ。恐らく略奪したものだろう。
イザベラは男達から目をそらすと、未だ眠ったままのステラ嬢を見た。

「何故彼女がここにいるの?」

その問いに、男達はひひひと厭らしく笑う。

「売るためさ」

使用人のお仕着せを着た男が一番に口を開く。軽薄な声だった。

「最初はこのお嬢ちゃんの言うとおり、あんただけを浚うつもりだったんだが、このお嬢ちゃんも一緒に売ったほうが俺達には都合がよくてね」
「なんでもこのお嬢ちゃん、アステートの宰相の娘だっていうじゃねえか。そしてあんたは、あの憎たらしいフェルナードの嫁だってな。あんたらを西の国に売りゃ、両国間が荒れるだろう。そうすると俺らは仕事がしやすくなる。フェルナードに何度も痛い目を見せられてきた西の国には恩が売れるで、いいことづくめなのさ」

彼らにとってはいいことづくめかもしれないが、イザベラ側にすれば酷い話である。

「彼女はまだ幼いわ。帰してあげて」

親ばかなロセ・ファンの顔を思い出す。
大切な一人娘が浚われたとなれば、どれだけ辛く苦しい思いをするだろう。下手をすれば仕事が手につかなくなるかもしれない。そうなると優秀な宰相を失ったフェルナードが苦労する。それだけは避けたい。
そして何より、アステート公国の有力貴族の一人娘がいなくなるより、裏切りの代償のために嫁いできたイザベラがいなくなるだけのほうがアステート公国は混乱しないだろう。

「自分を騙した女を助けようって?お姫様は寛大だなあ」
「思春期の暴走のようなものだわ」

なまじ権力があったからいけない。あとわがまますぎたのもよくなかったかもしれない。
どちらにせよ、イザベラにとってステラ嬢は恋に盲目かつ反抗期の可愛らしい女の子である。一国の姫として、守ってやれねばならない存在だ。

「そう言い切れるあんたがこわい」

何故か山賊に引かれたが、イザベラは気にならない。今はとにかく、彼らにステラ嬢を諦めてもらわねば。

「……彼女を売るより、うまみのある取引ができればいいのよね」

宰相の娘など、売った側は勿論買った側もただでは済まないだろう。
あの父親だ。娘が生きている可能性があれば、どんな手を使ってでも探し出そうとしそうである。
それだけのリスクを負って彼女を買うような人物がいるだろうか。なにせ相手は軍事国家アステートであり、そこの宰相である。

「あなた達はいいことづくめだと言ったけど、本当にそうかしら。確かに両国間は荒れるわ。きっとあなた達の商売もやりやすくなるでしょう。でもこの緊張状態の中、本当に西の国がそんな取引に応じると思う?言っておくけど私は人質として価値はないわ。裏切りの代償としてアステートに引き取られただけだもの。そんな女を盾にしたところで、アステートにとっては痛くも痒くもないのよ」

なにせ彼らのいう〝フェルナードの嫁〟というのは建前のようなものだ。結局挙げるはずだった式も、無期限の延期にされてしまった。

「エルゴルの姫ひとり守れなかったと言われることもあるでしょうけど、そんなのアステートにとってはなんの痛手にもならない。小国の姫が運悪く山賊に浚われてしまっただけだもの。いくらでも言い訳できるし、そもそも大国アステートと小国エルゴルを天秤にかけて、アステートを非難するような国もない。ステラ嬢のことも同様だわ。彼女を売り物にするにはリスクがありすぎる。買った側だってただでは済まない。彼女は確かに美しくて将来有望だけれど、彼女の父親を知っていれば誰も買おうとしない。この子にまだそこまでの価値はない。他国だから知らないはず、じゃ済まないわ。社交界の情報網を甘く見ないほうがいい。だからといって彼女から家名を取り上げたら、それこそ普通の買い値まで落ちるもの。はした金は手に入るけど、リスクを負って得るほどの額ではないわね」

エルゴルで採れた鉱石を売るような口上でイザベラは話した。
案の定、矢継ぎ早に自分達の計画の甘さを指摘された山賊はぽかんとしている。
チャンスである。

「なら身代金を要求しようとしても無駄。どこで足がつくかわからないし、そもそもあなたち、そういった細工に長けているように見えないわ」

イザベラが言うと、男達がざわつきだした。フェルナードの執務室でメイドの真似事をしていたときに彼らのことは聞いた。強引で単純な略奪ばかりで、統率も取れていない。恐らくは烏合の衆だろうと。
彼らのアジトに潜入したミカエルによると、名ばかりの頭というものもいるらしいが、およそ仲間達を束ね切れているようにはみえなかったという。
恐らく、口で言っているほど大それたことをする度胸もないだろう。ステラ嬢を連れているだけで相当なリスクだとわかってもらえれば上々である。

「殺すのも勿論だめ。彼女の父親は子煩悩で城でも有名なの。山賊に大切な娘が殺されたとなれば、どんな手を使ってでも犯人を見つけ出して、どれだけ残酷な報復をするかしら。権力を持った貴族ほど残忍なものはないわよ」

だいぶ盛ったが、あながち嘘ではない。
ここまでくると、男達の顔色はだいぶ悪くなっていた。
ステラ嬢を恐ろしい者でも見るかのような目で見ている者もいる。

「早いうちに帰すべきだわ。あれから半日経っているなら既に捜索が始まっているだろうし、何よりアステートにはあのフェルナード王子がいるのよ」

あの人の勇姿など風でしか聞いたことはないが。
ほんの短い間だったが、彼が信用に値する人物だということは、痛いほどよくわかっている。

イザベラはここで喋るのをやめた。
散々不安は煽ったので、あとはイザベラが誘導したと思われないように、彼自身にアジトに一度戻る、という結論を出してもらう。

「どうする、俺めちゃくちゃ不安になってきた……」
「このまま足がつかないうちに売りに出すつもりだったけど、頭に一度相談したほうがよくないか?」

案の定、男達は額を突き合わせて話し合いを始め、そう時間をかけずイザベラの思い通りになった。

「とにかく一度戻ろうぜ。ここからアジトまでそう遠くないだろ」

その一言にイザベラが心の中でガッツポーズをしたとき、馬車が大きく揺れた。

手綱を引いていた男の悲鳴。複数の足音。それから――。




「この女はなんだ」

幌を切り裂いて入ってきた男に、イザベラは息を飲んだ。
助けがきたのかと一瞬考えた自分が馬鹿だったと唇を噛む。

男は西の国の軍服を着て、重たげな剣を手にしていた。





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