最愛の調べ~寡黙な王太子と身代わり花嫁~
西の国の事情




どうしてこんなことになったのだろう。

考えても考えても答えは出ないとわかっていながら、思わずにはいられない。
山賊にステラ嬢と供に浚われたのは予定外だったが、その後の流れはイザベラが望むように進んでいたはずなのに。
あのまま山賊達がアジトに向かってくれれば、山賊討伐に出てきたフェルナード達とかち会うことができると思ったのだが。

「何を考えている」

イザベラの前に座る男が、威嚇するように睨みつけてきた。
そんなふうに警戒されても、今のイザベラは何も考えていない。

「……山賊どもが言っていたぞ。お前は食えない女だとな」

馬車の中で散々不安を煽ったのがいけなかったらしい。完全に要注意人物にされている。

「あのような者たちの言を信用なさるのですか」

男は西の国の軍人だという。大きな天幕を一人で使用していることから、それなりの地位の者なのだろう。天幕内は一面に分厚い絨毯が敷かれ、武器や日用品で雑然としていた。長い期間ここで生活しているように見える。
恐らくアステート公国と西の国との境界線だ。その天幕群だろう。最悪な場所につれてこられてしまった。

「この状況でそう返してくるような女を誰が信用するか」

しかも鼻で笑われた。

「ステラ嬢はどこです」

分厚い絨毯の上に座らされ、後ろ手を縄で縛られている。山賊達の扱いそのままに、ステラ嬢とは引き離されてこの天幕につれてこられたのである。

「案ずるな。部下達には丁重にもてなせと言い含めてある」

その言い方のどこに安心しろというのか。

「今すぐ彼女をここに連れてきてください」
「安心しろ。殺しはしない」
「彼女に恐ろしい思いなどさせないで。一国の軍人が敵国の宰相の娘を慰み者にしたとなれば、あなた達の誇りは地に落ちるわ」

声を聞く限り、かなり潔癖のようである。神経質の気もある。この煽り方でなんとか考えを改めてくれたらいいのだが。

「……下手な駆け引きはしなくていい。さっきのは冗談だ。給仕の女達のテントに押し込んでいる」

男は少し目を見張ってそう教えてくれたが、嘘ではないようだ。しかしそれはそれで心配である。目を覚まして給仕の女性達に罵詈雑言を浴びせないだろうか。こんな敵地で不快を買えば、どんな仕打ちが待っているかわからない。

「面白い女だな。お前の夫の敵を前に、よくもそんな堂々としていられる」
「虚勢が得意なだけです」

とはいえ、落ち着いていられるのは恐らくこの男の声のせいだ。こちらに無益な危害を加えるような男ではないと思われる。

(だめね。声で何もかも判断してはいけないとミカエルにも言われているのに)

どちらにしろ、取り乱すよりましだろう。

「貴方は私をどうする気なの」

男は国境を越えてアステート国内にいた。そこで山賊の馬車を見つけ、襲撃したというわけである。
どうやら山賊達は、西の国側にも不利益を与えていたようだ。

「歌え」
「はい?」
「エルゴルの姫は類まれな歌姫だと聞いている。暇つぶし程度になるだろ。歌え」

男は頬杖をついてイザベラを見下ろしている。


「……私の歌はあの方だけのもの。ここでは歌えません」

まあ、あの方の前であっても歌えないのだが。
イザベラのつれない返答に、男は気分を害した様子もなく、ふうん、と首を傾げた。

「操立てか?あの男に?まあ確かに、造りは美しいが」

そういう男はフェルナードとは対照的である。西の国は全体的に色が深いとは聞いていたが、男の髪は真っ黒だ。瞳もこの薄暗いテントの中では真っ黒に見える。黒い眉毛に、堀の浅い顔のつくりをしていた。その分表情が読みづらく、なにを考えているかわからない。

「そこまでするくらいなら、あの男への土産になるかな」

イザベラを見ているようで見ていない視線で、男がぽつりとこぼした。
その独白にイザベラは唇を噛む。
こちらを盾にしたところで無意味だと思わせておけば、フェルナードの手を煩わせることもなかっただろうに。

「……私が勝手にあの方を慕っているだけ。所詮裏切りを償うためだけの存在です」

イザベラが苦し紛れにそう言うと、男は不意を突かれたような顔をした。
予想外の反応に思わず怯む。


「……お前、何も知らないのか」

え。

男は呆気にとられているイザベラを横目にすっくと立ち上がると、ふふふと笑い出した。不気味である。

「じき、お前の大切なフェルナード王子がこの前線にやってくる。歌姫を捕らえていると鳥を飛ばしたからな。あいつが到着したら、大勢の兵の前であいつの恥ずかしい秘密を暴露してやる」

その秘密とはなんだろう。激しく知りたい。
だがイザベラが何か言う前に、男は天幕から出て行ってしまった。
ちらりと見えた外は薄暗く、もうすぐ朝が来るのだろう。つい先程から小雨も降り出している。
ここが本当に前線だとしたら、アステートの城から馬を飛ばしたとしても二日はかかる。あの山賊たちに殴れれて気絶している間、アステートの中心部からだいぶ離れていたらしい。
助けが来る前にステラ嬢となんとか顔を合わせたいが、実質互いに軟禁されているようなものだ。後ろ手で縛られているだけとはいえ、この姿で敵地の真ん中から逃げ出すには無理がある。

(下手に動くより、フェルナード王子を待っていたほうがいい)

イザベラだけなら見捨てられたかもしれないが、ステラ嬢もいる。恐らく救助はくるだろう。

(傷は痛んでいないかしら……)

天幕を静かに叩く雨音に、どうしても思い出してしまう。
考えると、途端に胸が苦しくなった。

(あの朝は、こんなことになるなんて思ってもみなかったのに)

フェルナードから声を奪った傷跡の感触を思い出す。
イザベラが知る、フェルナードの唯一の部分。
無意識に己の首を撫でるように手を置き、自然と祈っていた。

(……どうかあの人が、怪我をしませんように)

祈りながら、陳腐な言葉だとおかしくなる。
彼の無事を祈る歌を歌えないのが悔しい。
今すぐに、彼に聴いてもらえないのが悲しい。

(歌えもしないのに、本当にばかなイザベラ)

こうして歌を聴いて欲しいと想うのは、いつぶりだろう。

(歌えるかしら。あの人の前で)

錆びていてもいい。
この恋心を、歌に隠して聴いてほしい。
無事にまた再会できるかどうかもわからないから。





夜が完全に明けると、小雨は止み、雲間から青空が見えてきたらしい。
らしい、というのは男がわざわざイザベラに教えてくれたからだ。

「捕虜の身は暇で陰鬱だろう。外に出してやるわけにはいかないが、外の様子くらいなら語って聞かせてやれる」

男が簡素な食事を取りながらそう口にする。
あの後、朝食を持って戻ってきた男はイザベラの腰に縄を回し、天幕の太い柱にくくりつけると、手の縄を外して食事ができるようにしてくれた。

「……捕虜になったことがおあり?」

訊ねてみれば、こくりと頷かれた。
それは今も交戦中のアステートにだろうか。それとも。
イザベラの心を読んだのか、男は小さく首を振った。

「我が国は多くの国と戦を構えている。主に強欲な主のせいだが、その欲はとどまるところを知らん。求めることをやめればそれこそ国は潤うのだがな。最近では民も兵も疲弊しきって、国自体の活力がない」

男の眼差しにははっきりとした憂いがあった。
西の国は、他国から資源を奪う必要などない豊かな国だと学んだとおりであるらしい。
決して必要とはいえない戦で、多くの仲間を失うのは、どれほど辛いことだろう。

「なまじ隣国のアステートが美しく豊かで、整備されすぎた国だったのがいけなかった。隣の芝は青いというが……我が主には一層青く見えるらしい」

王を諌める忠臣はいないのかと訊けば、鼻で笑われた。

「民達が多くを失う傍ら、上に者は戦で得る蜜を長く吸ってきた。今更それを吸うなといっても無駄なこと。王子が三人いるが、一人は女狂い、もう一人は引きこもり、一番下は妾腹の子で、力がない。臣下にもこの状況を憂いている者もいるが、声を上げてまで現状を変えようとする者などおらん。」

貴方はどうなのですか、と口にするのを、イザベラはやめた。
男が現状を憂いているのはわかったが、無責任にも国を変えるために危険を冒せとは言えない。
国を丸ごと変革するには、その国だけの力ではまず難しい。信頼できる他国の強力な力添えがあれば、希望もあるが、アステートだけではなく他の国とも火種を抱えている西の国ではそれも難しいだろう。

「この際、我が国など他国に攻められ滅んでもいいのだがな。民の犠牲を考えると、それも容認できん」

捕虜のイザベラにとんでもないことを話してしまっているが、大丈夫なのだろうか。
イザベラの表情からなにかを読み取ったのか、男は小さく笑った。

「話しすぎたな」

その笑みが、何故かフェルナードと重なる。
多くの兵士と笑いあい、信頼しあい、死線をくぐってきた男の、ふと緩んだ瞬間の顔だった。

「……わたくしは無力ですが、少なくとも西の国には貴方のような方がいると知れて良かった」

ただ想いを伝えることしかできないイザベラは、じっと男を見てそう口にした。
話し合いの席が設けられれば、フェルナードとこの男が協力し合えるのではないかと、叶わぬ夢を抱いてしまった。そうして二人が手を組めば、長年の西の国との諍いも、鎮火するのではないかと。
西の国と協力体制が組めれば、それこそフェルナードの地位は磐石となり、西の国の民と兵は救われるかもしれない。多くの確執は残るだろう。けれど、ただひたすらに意味のない争いを続けるよりは、よほど必要な変化ではないかとも思う。
女の浅知恵、甘い考えと言われればその通りだが、一瞬でも理想を思わずにはいられなかった。
男の、民を国を思う心が、イザベラには痛いほどよくわかる。

「……ならばひとつ、聞いてもいいだろうか」

イザベラの視線を受け、男がゆっくりと口を開いたときだった――。




「王子、付近をうろつく怪しい女を捕らえました」

天幕の外からかけられた声に男は立ち上がると、「今行く」と短く応えた。
目を丸くしているイザベラを見下ろすその顔には、小さな笑みが浮かべられている。

「話の続きはまた今度にしよう。今のうちに食事を済ませておくんだな」

取り残されたイザベラは、言われたとおりに食事を再開するしかできなかった。




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