夕星の下、僕らは嘘をつく
「犬は、お世辞言わないからいいよね」
聞こえないように、言ったつもりだった。
でも彼の耳には届いていたみたいで、眉をひそめられる。
 

ありがとう、そう答えながら足に力を入れた。
なんとか立ち上がって、壁に背を預ける。
 

仮、をつけるのももうめんどいから、間違っていても一ノ瀬くんと呼ぼう、彼は再び私の横に立つ。
犬が苦手なのかと思った、と軽く言われたのには返事をしない。
 

きっと、彼が一ノ瀬くんだったとしても、私のことは覚えていないのだろうな、と漠然と考えていた。

そりゃあ私だって多少は成長している。
背も予想以上に伸びたし、顔つきもすこしは子どもっぽさが抜けてきた、はず。
とりあえず幼くは見られない。
 

でも私はなんとなく疑う程度から気づいたものの、彼はいっさいそんな素振りを見せていない。
口調というか距離感はやたら親密的というか、軽薄だけど、それでも他人として私のことを見ている。たぶん。
 

哀しい? 
いや、そういうんじゃない。
そんなもんなんだろうな、って思ってる。
私だって、一ノ瀬くんに少なからず好意があったからこそ記憶にあった程度だろう。

つまりそういうこと。彼はきっと私のこと、なんとも思っていなかった。
ま、たしかにたった数ヶ月、同じ教室にいただけだし。 
 

そう、それだけの関係。
私の初めての片思い。
 

雪はやみそうにない。この雰囲気なら、明日には積もってそうだ。
ただの観光なら、雪景色も楽しめたのかもしれない。金閣寺とか。
詳しくないけど、雪が降った日は金閣寺の映像が流れてた気がする。


「湊、待たせたな」
こっちにいる間、どこか出かける気も起きるはずがない。
と思っていたらこちらに向けられた声が聞こえてきた。

一ノ瀬くんが、その声に反応する。
 

やってきたのは彼と背格好の変わらない少年だった。
違うのは髪の色ぐらいか。
私とも同世代と思われるのに、頭はきれいな金髪だった。
 

彼は、隣の少年を湊と呼んだ。
じゃあやっぱり、一ノ瀬くんなんだろう。
同名が世の中に一定数いることは知ってるけれど。


「じゃあ、また」
一ノ瀬くんが律儀に私に向かって微笑んだ。

「また、と言われても」
その挨拶に感じた違和感が素直に口に出る。
一ノ瀬くんが目を丸くしてから、破顔した。

「二度あることは、三度あるかもよ」
この人結構手慣れてる。
と頭がしっかり分析したものの、心はすこし、ほんのすこし、揺れ動いてしまった、かもしれない。

まあ私が知っていた数ヶ月の一ノ瀬くんからは想像もつかない軽さなんだけど。
あれから数年、人生いろいろあるだろう、そこは仕方ない。
私だって、不登校児だし。
 

そこらへんは友哉のせいかもしれないな、なんて暢気に考えて、冷静になった。
友哉なんかどうでもいいし、今一ノ瀬くんに多少ときめいたところでなにもない。
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