迷彩男子の鈴木くんが、お嬢様の高町巫果さんに魔法を掛けるお話
社内運動会・喧嘩?
いつも誰かの影。
現代でいうところの〝顔無し〟。
「最近のフォロワーは、高町家の飼い犬ジャッキーだよね?」
ヤサグれた姉に何を言われても、僕は迷彩人類らしく気配を殺して、ただただ頷いていた。ジャッキーに嫌という程顔を舐められながら、である。
「さぁ、巫果ちゃんがチャレンジだぁ」とヤンキー姉はバスケットから何やら取り出して、
「〝もしこのマフィンを全部平らげたら、鈴木なんかと結婚できますぅ〟」
ケーキを狙う巫果さんの目が怪しい。チャレンジという言葉に勝手に反応しているとしか思えない。
「高町さん、止めましょう。すぐに競技が始まりますから」
彼女は果敢にチャレンジしたものの、2つ目で咳込んだ。
「はい消えた。ノー・ウェディング」
誰か教えてくれ。姉と言うのは、ここまで容赦ないのか。
そこに「巫果ちゃーん、競技、並ぶよぉ」と、あの村上がやってくる。
2人はしばらく仲良く話し込んでいた。耳を澄ませば、「巫果ちゃんさ、あの鈴木って野郎とどうなってんの?」と、さっそく突かれている。
「え?何度も会ってるの?遊園地?ドライブ?それって普通にデートしてると同じじゃん。……ヤッてないの?1回も?えっ!?ちゅーもまだ?それさ、女と思われてないんじゃね?そのチャレンジ、無駄じゃね?」
当の高町さんは何を言っているのかよく聞き取れないが、村上の声だけで十分だった。高町さんがキッと眼差しを強くする。それはここからも見えた。
「えー?俺そんなスパルタ?え?魔法使い?誰が?」
そこで村上はドン引きしている。恐らく今初めて聞いたのだろう。彼女にしては我慢したようだ。
「巫果ちゃん、マジ?超ヤべー女じゃん」ゲラゲラと笑われている。
「やだ、もう」
彼女の口から、それが自然に出た。これが本当の友達の姿かもしれない。2人は自然な流れに乗っている。一緒に居るうちに価値観も自然に合うだろう。
「次の競技は、二人三脚か」
僕は念願の(?)エリカと超密着で、渡部に、ほんの~り睨まれた。それほど浮かれる訳でもないけれど、とはいえ、隣で何だかいい匂いがする。
そこに少々惑わされそうになっていると、
「〝もしエリカに勝てたら、私は鈴木さんと結婚できます〟」
まるで不埒な僕に喝を入れるが如く、隣でスタートラインについた高町さんが祈りを込めた。それを聞いたパートナーの村上は怪訝そうに、
「あのさ、何でそれに俺が協力しなきゃいけないの?」
そこで、ちょうどスタート側に居た上杉部長に向かって、
「この上杉さんとこの部下。俺の邪魔してるよ?」
苦情に対して「なるほど」と部長は腕組み、静観を(無視を)決め込んだ。
「高町さん、さっきからお相手に失礼ですよ」
思わず僕はプチ説教した。
「いや別にいいけどさ。俺は俺でやるし」
村上はそう言いながら足を紐で縛り、待機して……と見せて、
「巫果ちゃん、可愛いなぁ。俺だったらマジいつでも、ちゅーしたい」
高町さんの肩を抱いた。馴れ馴れしいぞ!とはいえ、外部が突っ込む事でもない。兄貴はどうだ?と高町社長の様子を窺ったが、何の反応も。
「巫果ちゃんってさ、意外と胸デカいね。美味しそっ。うっしっし」
「そうでしょうか。それを牛と掛けてらっしゃるの?」
「高町さん」
僕は口を挟んだ。もう黙っていられない。
「そこは詳しく笑う所じゃありません。君も失礼な事を言わないで」
「おまえもそう思ってんだろ。ほら!おっぱい見た!」
「思ってないし、見てない!」
「村上さん、鈴木さんに失礼な事を言わないで下さい」
高町さんも、こちら側に付いてくれたと、この時は思った。
「鈴木さんは小さいのがお好みです。エリカのような」
それがフォローになると本気で思ってるのか。「あん?」と隣でエリカがモデルらしからぬ険悪な反応を見せる。そのうち泣いて怒るぞ。と思ったら、
「もし鈴木さんと1番でゴールしたら、あたしは彼にチューしますぅ」
え。
一瞬、空気が凍りついた。
巫果さんとエリカが、静かに目線を繋げる。「わお、炎上」と村上が面白がる。
横で眺めていた上杉部長も、くくくと肩で笑っていた。
「いいの?巫果ちゃん。お友達を敵に回して」村上が、彼女の耳元で囁く。
「構いません。昨日の友は、今日の敵ですから」高町さんはガチ。
「その通りだ。金ボケ一族にしては冴えている」
何故か上杉部長がエール?を送って……今、酷い事を言われたんですよ?
高町さんもさることながら、部長の隣、高町社長もニコニコ笑ってますが。
本気で心配になる。この一族は正真正銘、金ボケなのか。
スタート!
第一走者のペアは赤チームがその先頭を行く。そこからバトンを受け取ったのが高町さんと村上のペアだった。次に入って来る青チームに備えて、僕とエリカにも緊張が走る。「あたし陸上部だったの。遠慮なく行っちゃって」
これは心強い。てゆうか手強い。僕のせいで負ける訳にはいかない。
赤チームは順調と見せて、すぐにバランスが崩れた。村上は咄嗟に、高町さんに体を預けてしまい……あれは支えられない。エリカに、おや?と疑われながらも、僕は高町さんの隣に飛びこんだ。高町さんは地面に直撃を避けられたものの、こちらのエリカがバランスを失ってその場に撃沈。
それはギャラリーを大いに沸かせる。とはいえ「ごめん!」と僕は謝った。
結果、先頭を争っていた赤と青は、最下位争いにまで落ちぶれてしまう。
終わったペアは最後尾に並び、仲間の健闘を応援するのが一般的だが。
最初に異議を唱えたのは、「終わった事を言うのも何ですが」と、何だかずっと腑に落ちないという様子の高町さんだった。
「村上さん、あれは、ワザと転びませんでしたか」
「ごっめーん。ちょーっと長い足がもつれちゃってさ」
全然本気に答えていない。村上は高町さんに寄りかかり、勢い、その腕が胸元に触れている。思わず僕はその手を弾いた。
「さっきから、君の態度は彼女に対して失礼だと思う」
「あ?」と村上の反応は一拍遅れた。
「彼女の言う通りだ。あれはワザと転んだ」
「あ?証拠あんのか?やんのか?鈴木のクセに?」
競技をそっちのけ、僕は村上と対峙した。エリカは少々体を引く。そこに高町さんが「鈴木さん、もういいです」と間に入った。
「もう終わった事ですから」
「いいえ。高町さん、本人が反省するまで終わった事にはできません」
「村上さん、反省されてますよね?」
「はいはーい」
不穏な空気がそこらじゅうをフワフワと漂った。「村上さん」と咎めるような口ぶりの高町さんを、僕は手で制して。
「高町さんは、引っ込んでいて下さい」
「そういう訳には参りません。私に関わる事でしょう?」
「今は違います。何ていうか、女はすっ込んでろ、と言われる場面です」
僕の目の前、村上はあと3センチという近さでガンを飛ばしている。
「でも……」
「高町さんは、そこに居て下さい」
「そう言う訳にはいきません」
「黙って。大人しくして下さい。普通に」
「分かりました」と、こっちが拍子抜けするほど、彼女はあっさり引っ込んだ。
さすがの村上もその変わり身の早さに目を剥く。普通、恐るべし。
「ダメよ、巫果!」
何故かここで、エリカが飛び込んできた。ドン引きしたんじゃなかったか。
「1番の見せ場よ!」
私の為に殿方が争うのは止めてぇぇ~!
一番、ドラマティックなシーンよ!
ヒロインが泣き付くのよ!
行けっ!
……やっと分かった。洗脳の原因は雑誌ではない。エリカにある!
こうなって来るとさすがに周囲も気が付き始めた。
「喧嘩?」「喧嘩?」「喧嘩?」
野次馬が集まって来る。負けた腹いせ。エリカのファン。それぞれが自分事情で「どこだどこだ」とやる気満々。いきおい参戦。まるでカオス。本来の敵が誰なのか分からなくなった。僕と高町さんは、とっくに外に弾かれている。
「鈴木さん、気になさらないで下さい。村上さんはお友達らしく、少し親しい態度に出ているだけです」
「親しい?それは違うでしょう。高町さんは気が付かないんですか。あんなにいい加減に扱われているのに。どうしてもっと、ちゃんと拒絶しないんですか」
「彼と仲良くやれと仰ったのは、鈴木さんでしょう」
「仲良くするのと、好いように扱われるとは訳が違います」
「あら。鈴木さんにそれを言われるとは思いませんでした」
彼女はむくれて、ぷいと横を向いた。
「は?何ですかそれは」
僕も思いがけずムッときてしまう。競技は緑チームがめでたくゴール。そこに「はい、ノー・ウェディングでしたぁ」と村上がやって来て、またしてもというか高町さんに馴れ馴れしく絡んだ。
僕はそこを指差した。
「僕はこんな馴れ馴れしい事はしません」
「したじゃないですか。子供騙しみたいなキスを」
一気、燃え尽きそうな勢いで体中が熱くなった。
「あ、あれは……こういう類の誘惑とは違います!」
「盛り上がってるとこ悪いんだけどさ」と、その声に振りかえると、高町社長が仁王立ち。「おまえはブービー賞」と高町さんに商品券を渡した。
「子供騙しがどうとかって、何だ?」と、兄に訊かれた妹は……そこから僕は耳を疑う。
「それなんです。聞いてお兄様。鈴木さんはとても酷い方なんです」
マジか。
ここで兄貴にチクるのか。
僕が茫然としている間に、彼女は「酷い酷い」と何度も繰り返し、これまでのムチャ振り、様々な事の次第を詳しく説明し始めた。僕が膝から崩れたのを見て「地獄だな」と隣で上杉部長が笑う。いつの間にかヤンキー姉も居て、
「きゃははは!何それ!逆回転で超ウケるんだけど!」
その周りを、ジャッキーが嬉しそうにくるくると回って跳ねている。
「それマジ?鈴木クン、ちょー面白ぇじゃん」
さっきまで険悪だった事も忘れて、村上までもがころころと笑った。
こっちの恥ずかしさは超マックス。僕には誰も味方が居ないのか。
「俺の言った通りだ」
そこで高町社長は急に真面目な顔になる。
「巫果では物足りない、その意味が今なら分かるだろ」
「お兄様と、もうその話はしたくありません」
〝鈴木くんのように、社会人として立派に自立している男性が、巫果のようなボンヤリした女の子を相手に満足する筈がない。きっと物足りないと思う〟
「鈴木くんには迷惑な存在だと、はっきりそう言った筈だ」
おや?と思った。
聞いていると、いつか聞いた文句とは妙にニュアンスが違う気がする。
〝鈴木のような野郎は相手にならない。あいつは物足りない。迷惑だ〟
ではなかったか。これが悪意でなくて何だろう。ヤンキー姉は随分と端寄ってくれたらしい。今は、チクるんじゃねーぞ……と、睨まれている。
高町社長に見捨てられた訳じゃないと知って、僕は純粋に胸を撫で下ろした。だが、それで高町さんが足らない女の子だと判断される事は本意ではない。
「高町社長、妹さんは、周囲の考えが及ばない領域に何かしら影響力を与える人です。それを迷惑と取るか面白いと思うかは相手次第ではないでしょうか」
3秒、妙な間が空いたと思ったら、
「鈴木さんは、どっちでしたか」
高町さんが僕を見上げる。こんな公衆の面前でムチャ振りが来た。高町社長を(姉も)前にして、非常識にブッ飛んだ事なんか言える訳無い。
「あなたはガチで迷惑です。一方、それが非常に大ウケでした」
僕の日常に、どっちも普通にありましたよ……そう言うと、
「魔法が、鈴木さんには普通に存在しているという事ですね」
「そう思いたければ、どうぞ」
大人しく見守るジャッキーを間に置いて、僕達はお互いに見詰め会った。
ここに来て、まるで子供だましのような意地の張り合いである。
「いつまでたってもお認めにならない。手強い方だわ」
彼女は悪戯っぽく微笑んだ。僕に向けて1度深く頷くと、
「では、行って参ります」
最終競技、対抗リレーに毅然と向かって行った。
ついさっきまで僕を酷い酷いと言っておきがら、
「〝チームがこのリレーに勝ったら、私は鈴木さんと結婚できます〟」
まるで何事も無かったように。また祈りを込める。
暮れかけた空に、最後の競技、開始ホイッスルが鳴り響いた。
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