猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
姿勢を戻したラルドは、高い位置からグレースを見下ろす。

「では、ひと月後の式で」

「なんですって!?」

慌てて帰ろうとするラルドの上衣の背中を掴んで引き止めれば、さも鬱陶しそうに振り向かれた。

「この流れで式と言ったら、結婚式だとわかりませんか?面倒ですが、恐れ多くも王女を娶るとなれば、やらないわけにいかないでしょうから」

心底億劫だと思っているらしく、目を細め苛立たしげに前髪をかき上げている。

「いくらなんでも、一ヶ月後は早すぎるわ。月の禊ぎも受けなくてはいけないのに」

「……そんな古臭い習慣を守るつもりだったのですか」

ラルドは目を見開き、呆れたため息をつく。

月の禊ぎというのは、婚礼を控えた娘が、神殿内の太陽の間と呼ばれる広間を囲むように造られた二十八室ある小部屋に、一晩ずつ籠もって回る儀式だ。
幸せな結婚生活と子孫繁栄を、二十八いるといわれている月の化身である女神たちに祈祷する。その期間は外界との接触が完全に断たれるという、心身共になかなか過酷なもの。

だが身分ある子女が行う古い時代から続く風習も、手間暇の多さから最近では簡略化され、それさえも徐々に廃れつつあった。

「あれは、ほかの男の子種を宿していないか公に確認するために過ぎません。それともグレース様は、身の潔白を証明しなくてはいけないような心当たりでも?乙女でなければ、と言うつもりはありませんが、さすがにそれは困るので」

カッとグレースの顔が熱を持つ。そんなもの、あるはずがない。
少女のような反応を見せ、羞恥に染まる顔を伏せた彼女の火照った片頬が、ひやりとした感覚に包まれる。触れられたものの正体に気づき身を固くするグレースがぎこちない動作で上げた視線の先には、不敵に笑うラルドの顔があった。

「この様子なら、禊ぎを受ける必要はなさそうですね」

冷めた目でからかう彼の指が、頬を伝いグレースの小さな顎を捕らえる。

「意味のない祈りを捧げる暇があるのでしたら、ヘルゼント伯爵夫人としての務めをつつがなく果たせるよう、しっかり予習でもなさって――っ!?」

「貴方に言われるまでもないわ。自分で選んだことだもの」

グレースに力一杯払いのけられた手を宙に浮かせたまま目を丸くするラルドへ向け、毅然と言い放つ。凛と響く声音に、伸ばされた背筋と真っ直ぐ彼を見据えた緑の瞳。

不意にラルドが表情を緩めた。彼女を通り越し遠くを見るような眼差しは意外なほど穏やかなのに、なぜかグレースの胸をざわつかせる。

誰に聞かせるでもない言葉が、彼の口からこぼれ落ちた。

「やはりこれも『血』ですかね」

「……なにか言った?」

「いえ。それならば結構。是非ともよろしくお願いいたします」

慇懃に礼をとり退室していく広い背中を、グレースは眉を曇らせたまま見送った。


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