猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
自分はそんなのはイヤだ。グレースは薄闇の中でも迫るように浮かぶ、天井に描かれた太陽神ダーヴィルを睨み付ける。

たった一人の人を愛し、愛されたい。そんな当然のことも望めないのならば、結婚する意味がない。

なんの政略的旨味もなく、美姫として評判がたつわけでもない彼女の元に届けられた縁談は、小国の王族の何番目かの妻だったり、親子ほど年齢差がある貴族の後妻などというものばかりだった。

母を置いて異国には嫁げない。自分より年上の子どもと、上手くやっていく自信がない。
適当な理由を付け、少々駄々をこねただけで引き下がるのだから、もともと先方もそれほど乗り気ではなかったということだ。

身の程知らずのわがまま姫。そんな悪評も広まったが、見ず知らずの男に嫁ぐよりもずっといい。グレースはそう自分に言い聞かせ、甘んじて受け入れた。

拒み続いているうちに適齢期を過ぎ、ここ数年は縁談そのものがあがってこない。これ幸いと、このまま一生静かな独身生活を送る決意を三十路を前にして固めかけていたその矢先、今回の話が突然にもちあがったのだ。
それも相手が、あのラルドとはなんの因果だろう。

ダーヴィル神に寄り添うように佇む正妃のたおやかな姿に目を移す。満月の化身らしく月光で染めたように淡く輝く長い髪。新雪の如き白い容はただ一心に夫へと向けられている。その薄紫の瞳を見るたびに、グレースはあの美しかった人を思い出さずにはいられない。

もう、二十年近く前になるだろうか。
月が窓に現れるのを待ちながら、グレースは初めてラルドに会ったときのことを回想していた。



「手伝う気がないのなら、外にいってなさい」

数日続いた雨が上がり爽やかに晴れたあの日。グレースは自ら先頭に立って館中の掃除を始めた母に、掃くように追い出されてしまった。

「なんで王女が使用人に混じって箒なんかを持たなければいけないのよ」

ぶつぶつ愚痴を零しながら、一冊の本を小脇に抱えて王城内を歩く。後ろから乳母がゆっくりと付いてくるが、足を緩める気はない。いつまでも子ども扱いする彼女を、できることならまいてしまおうとしていた。

一段と歩みを速めたグレースはふと顔を上げ、周囲を見回す。初夏の風に乗って花の香りが届いたせいだ。方向を定めると、誘われるように行き先を変え走り出す。

辿り着いた場所にあったのは、まだ葉や花に残る雨滴が日差しを受けきらきらと光る薔薇園。今が盛りと様々な色の薔薇が咲き乱れ、それを目当てにちらほらと人が集まっていた。
ふらふらとやってきてしまったけれど失敗した。ここではゆっくりできそうもない。

グレースは静かに読書する場を求めて踵を返そうとした視界に、自分と同じくらいの背丈をした少年の後ろ姿が映った。珍しい。そう思いつつ通り過ぎ様感じた、薔薇とは違う清々しい香りにグレースは反応して立ち止まる。

ああ、これはカモミールだ。
よく母が淹れてくれる香茶と同じ香りだと思い出した。
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