猫かぶりな伯爵の灰かぶりな花嫁
温室まで息を切らせて下ってきたグレースは、泣き腫らし縮こまっているマリをみつけた。駆け寄り抱きしめる。

「ごめんなさいっ!本当にごめんなさい!!」

「申し訳ありません。申し訳ありません」

際限なく同じやりとりが繰り返されていた。その横で半ば呆れつつ見守っていたラルドの背後から声がかかる。

「ご無事だったようで安心しました。もう少し経っても戻られなかったら、人手を増やしに行こうとしていたんです」

「ん?ああ、来ていたのか。面倒をかけた」

セオドールの後ろでこれまた小さくなっている従僕を、ラルドが睨みつけた。その視線から自分の身体でさり気なく庇い、セオドールが頭を下げる。

「すみません。畑の方に掛かり切りになっていて、こちらを無人にしてしまいました」

白薔薇館へ着いた従僕は、温室の鍵を持ったままでセオドールが薔薇畑にいることを教えられ、道を大きく引き返して迎えに行っていたのだ。

「それは仕方ない。勝手に動いた彼女に否があるのだから……。ハンス!」

「は、はいっ!」

セオドールの背に隠れていた従僕のハンスが飛び出し、丸太になったように直立不動で、主からの指示を待った。

「僕たちはこれから白薔薇館へ向かう。そのまましばらく滞在するつもりだと屋敷に伝えてくれ。それから、あの馬を国境の砦に返して来てほしい」

ラルドは、木陰でのんびりと草を食んでいる黒い馬を示す。

「え、白薔薇館に泊まるの?」

予定外のことを聞かされ、グレースはひしと抱き合っていたマリから顔を上げた。

「貴女はマリをその顔のまま屋敷に帰すおつもりですか?」

グレースの腕の中でマリがビクッと身体を震わせる。まだ涙の乾かない頬に、腫れぼったい瞼。このまま戻れば、カーラたちからなにがあったのかと詰問されるのは間違いない。事の次第を知られたマリやハンスが、厳しい叱責を受けるのは免れないだろう。

かといって、ラルドがこのまま見過ごしてくれる保証もないのだが……。
グレースは夫の本心を探るような視線を送る。

「実は、薔薇の香りが一番強いのは早朝なんです。よろしければ、明日の朝にでももう一度ご案内しますよ?」

グレースの寝坊のせいで出立が昼近かったのに加えこの騒動で、気づけばそろそろ日が傾き始めるころだ。

結局セオドールの申し出が後押しになり、白薔薇館へ向かうことになった。グレースとマリは、彼が操る荷馬車の荷台に乗せてもらい街道まで出ることにする。

「大丈夫よ。昨日も乗ったから」

自分の馬に乗せるつもりでいたラルドには、頭痛が起きそうなほど見当違いな答えが返された。妻は自分が不在の間、いったいなにをやらかしていたのかという疑問が、ラルドの胸中に広がる。

ヘンリーの荷馬車よりもさらに簡素な荷台には、畑帰りとひと目でわかる農作業用具が載せられており、その隙間にふたりは身を寄せて収まった。

まだ震えているマリをなだめつつ、馬車に揺られる。ガタゴトと林の中をそれほど長くはない距離を進むうちに、いつになく脚を使ったグレースと泣き疲れたマリは深い眠りに落ちていった。




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