好きにならなければ良かったのに

「おはようございます」

 遅れてきた梅沢と佐々木が一緒に営業部へやって来ると、幸司以外の社員皆が困惑したような顔をして見合わせている事に「何かあったの?」と梅沢が聞くも、これまた違和感たっぷりな雰囲気に二人とも首を傾げる。

 結局その日、美幸は会社を飛び出したまま戻ることはなかった。


――夕方の営業部一課。
 空席となっている美幸のデスクを時折辛そうな瞳で見つめる幸司の姿を晴海は逃さない。

「課長、コーヒーをどうぞ」

 朝、あれだけこっぴどく振られ、しかも、「許さない」と怒鳴った相手に缶コーヒーを差し入れる自分も変だと思いながらも、晴海は幸司の机上に買って来たばかりの冷たい缶コーヒーをそうっと置く。
 結露する缶から流れ落ちる滴を眺める幸司は、無言のまま暫く缶コーヒーを見つめている。物思いにふけっている様なそんな哀愁を思わせる幸司に、晴海は「大丈夫?」と優し気な言葉をかける。

「日下……か」
「大石さんだと思ったの?」

 晴海の口から美幸の名前が出るとも思わず、少しビクリと肩を震わせたものの、いつもの幸司の笑顔が晴海に向けられると「いや」と、か細い声で返事をする。

「彼女、今日はどうしたの?」
「さあ……」
「さあって、無断欠勤なの?」
「……」

 美幸の話題を避ける幸司は缶コーヒーを持つと「頂くよ」と、プルタブを押し開け一気に飲み干す。コーヒーを味わう暇なんてない程に一気に飲み終わると缶を握りしめる。

「処分しますね」

 差し出された晴海の手に飲み終わった缶を渡す。晴海は幸司の顔を見つめているが、幸司は顔を上げても晴海を見ようとはしなかった。出された手を見ていた幸司は少し悩まし気に眉を動かして「ありがとう」とお礼を言う。

 コーヒーを飲み終わった幸司は再び資料へと視線を移す。晴海が傍にいてもその姿を見ようともせず、顔を見上げることもしない。
 時折、唇を噛みしめ乍ら資料を見ている幸司に、晴海は小さな溜息を吐いてその場を離れる。

「晴海ちゃん」

 幸司に缶コーヒーを差し入れしていた様子をずっと眺めていた吉富が、戻って来る晴海へ声を掛ける。

「吉富さん、今日は残業なの?」
「え? あ、いや。今日はもう帰るけど……」
「じゃあ、夕食食べに行きませんか?」

 晴海からの誘いに吉富は嬉しそうに笑顔で「いいよ」と答える。まだ仕事中の職場なのに、晴海から誘ってくるのは、きっと幸司の気を惹こうとしているのだと何となく勘付く吉富は幸司を横目でチラリと覗き見る。

 しかし、晴海に自分以外の男を堂々と誘うのを見せつけられても幸司は平然としている。その様子にやはり幸司と晴海の間で何か起きたのかと思えたし、美幸の姿がない事に幸司は一切触れなかった事が更にそう確信させた。

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