1ページの物語。
-練習-







「じゃあ…また荷物とか取りに行く時は連絡するわ。多分1日で済むと思うけど、それが終わったらポストに鍵入れておくから」


「うん」


まるで今日の予定をサラッと言われた様な感覚で聞いているのはまだこの玄関に立っている目の前の彼が数分前に恋人から友人に戻った現実についていけていないからだ。


恋人になって4年、恋人が長過ぎて彼とどんな友人関係だったか忘れてしまった。


「大学のグループが集まる時は俺のこと避けて来ないとか無しだからな?」


「ふふ、そんなことしないよ」


あぁ、私あなたのその笑顔に恋したんだ。


「そう言って来ないだろ。

お前のことは俺が1番よく分かってたんだ……だから……絶対来いよ」


「…うん、分かったよ」


あぁ、最後にそんな切ない表情見るなんて思わなかったな。


「あと呼び名、お互いあだ名に戻そうな。
あいつら絶対気を使うから」


「…そういえばそうだね、あいつらが恋人なんだからあだ名で呼び合うなって怒ってきたもんね」


「ハハッそうそう、俺たちのことなんだから関係ないのにな」


「そうだよ、まだ慣れてなくて恥ずかしい時あだ名で呼んだら私怒られたもん。“違うだろ!”って。

ふふ、だから私家で1人練習したもん」


「あー、謎にスパルタだったな。

まぁ、でもちゃんと下の名前でお前のこと呼べたの嬉しかったからあいつらには感謝かな。
あのままだったらお互い恥ずかしくてあだ名継続して恋人らしくならなかったかもな」


「私もあなたの名前を呼べるの嬉しかったし、ドキドキしたし……うん、あなたの彼女で幸せだったよ。ありがとう」


「…お前のそういう大事な時に素直になる性格すごい好きだったよ」


「ふふっ、どうもありがとう」


「じゃあ、また大学の飲みでな」


「うん、バイバイ」


ドアを開けて彼が笑顔で手を振った。

私も笑顔で手を振り返した。


そしてドアが閉まる瞬間、小さな声で彼の名前を呼んだ。



どんなに小さな声でも彼は聞き逃さず、ドアを開けて『寂しいなら寂しいって言えよな』と、もう一度玄関に入ってくる人だった。


けど、今日の彼はもう玄関を開けることはなかった。


いつもならここから私はベランダに行って外から見えなくなるまで何回も振り返っては手を振る彼に手を振り返すのだが、

今日の私は玄関に腰を下ろし目を閉じた。



もう玄関には女物の靴しか並んでない。

彼はまた荷物を取りに来ると言ったがきっと彼のことだ、部屋にはもう彼の荷物なんて存在しない。

私だけの荷物だけがこの部屋を満たしてる。



「最後まで優しい人だな…」


ポストに鍵が落ちる音を聞かせたくないからあんな嘘までついて。


集まるのが好きな大学のグループはきっと1ヶ月以内に飲みの誘いのメッセージが届くはずだ。

それまでに練習しないとな。


呼び慣れてしまった彼の名前からあだ名に戻す練習を。


今度はどれくらい掛かるかな。


ゆっくり息を吐き腰を上げてリビングに行くと、やっぱり部屋は私の物で満たされていた。



【練習】
< 37 / 38 >

この作品をシェア

pagetop