寿聖宮夢遊録
『去年の秋、黄菊が開き始め紅葉が色づき始めた頃のことでした。書堂で大君が絹を広げ七言詩十首を書き写されていた時、小童が 〝金進士と名乗る者が来ているのですが……〟と告げました。大君は〝そうか〟と嬉しそうに応えられ、中に通すよう命じました。間もなく現われた〝金進士〟は、端正な美少年で、その所作は年令に似合わず実に見事でした。金進士の噂は、以前から耳にされていた大君でしたが、実際にお会いになられると一目で気に入られ、二、三、言葉を掛けられた後、酒席を設けられました。この時、大君は私たち十人を呼ばれました。これは異例のことでしたが、金進士が年若く、生真面目そうだったので、差し障りがないと判断なさったためでしょう。席上、大君は進士に詩を詠むことを勧められました。初めは辞退しましたが、大君の再三の言葉に、ついに筆を手にしました。その間、大君は金蓮には歌を歌わせ、芙蓉には琴を弾かせ、宝蓮には簫を吹かさせました。そして飛瓊には酒を注がせ、私には墨を磨るよう命じられました。進士さまの顔を一目見ただけで私は魂を奪われてしまいました。進士さまも私に微笑まれた後、幾度も視線を向けました。
 書き上げられた詩箋を御目を通された大君も何度か詠じられ、その出来栄えを絶賛なさいました。続いて、古の詩人について御下問なさいましたが、進士さまは的確に答えて大君を喜ばせました。すっかり御気をよくされた大君は、進士さまと詩文について意見をお交わしになり、遂には進士さまの手を握られて
「汝の才はこの世のものとは思えぬ。天が汝を我が国に下されたのは決して偶然ではないだろう。」
とおっしゃられました。
 以来、私は進士さまのことが忘れられなくなって、夜も眠れず、食べ物も喉に通らなくなって、このように痩せ細ってしまいました。』
 ここまで話すと紫鸞は
「私はすっかり忘れてしまったけれど、そんなこともあったわね。」
と言いました。私は更に話を続けました。
『それからも大君は進士さまとのお付き合いを続けられましたが、私たちは姿を見せることは出来ず、ただ、窓の隙間から窺うだけでした。しかし、この気持ちを何とか伝えたいと思い、ある日、箋紙に五言詩をつらね、金鈿(金のかんざし)と共にしっかりと包みましたが、渡す方法が見つからず、そのままになってしまいました。
 私のこの小さな願いが叶う時は、突然やってきました。それは、月のたいそう明るい夜のことでした。大君は、この美しい月を風雅を解する人々と共に愛(め)でたくお思いになり酒宴を開かれました。この席で大君が、進士さまの詩を詠じられますと、人々は感嘆し、ぜひ作者に会いたいと口々に言いました。大君は、さっそく進士さまのもとに使いを送られました。間もなく現われた進士さまは、憔悴しきっていて、以前の面影はありませんでした。大君は驚かれて
「汝は憂患とは程遠いと思っていたが、沢の畔を彷徨って憔悴したのか?」
と故事を引用なさってておっしゃったので人々は大笑しました。すると、進士さまは恐縮した口調で
「しがない身の上にも拘らず、大君の恩寵を賜わってしまったため災いを招き、このように病身になってしまったようです。今回は、大君の御下命ゆえ、人に支えられながら参りました。」
と応えたので、人々は皆、膝を正して敬意を示しました。
 進士さまは年令が若いため、戸口に近い末席に着きました。私は、この機会を逃しませんでした。人々が大酔しているのを確かめると、そっと例の包みを戸の隙間から投げ入れました。進士さまは、すぐにそれを拾うと懐にしまいました。
 家に帰ると進士さまは、さっそく包みを解き、詩箋に目を走らせました。
― あの人も同じ思いをしていたのか!
 進士さまの心は喜びに満ちあふれ、以前にも増して私への思いが強くなりました。早々に返事をしたためましたが、託す者がいないため、送ることが出来ず、手元に置いたままになってしまいました。なすすべのない進士さまは、日々、詩箋と金鈿を見ては嘆息するばかりでした。
 その頃、宮の東門近辺に一人の巫女が住んでいましたが、霊験あらたかなことで有名で、そのため宮中にも出入りしていました。進士さまは、彼女に手紙を託すことにし、その家を訪ねました。
 巫女は、早くに寡婦になったようで、年令はまだ三十にもなっていないようでした。容姿に大変自信があるようで、艶かしい雰囲気を醸していました。進士さまが来ると、さっそく酒肴の準備をしましたが、
「今日は忙しいゆえ、明日また参る。」
とだけ言い残し、そそくさと出ていきました。
 翌日、進士さまは、再び巫女の家を訪ねましたが、手紙のことは言い出せず、明日また来ると言ったきり帰ってしまいました。
 進士さまのこうした有様を見た巫女は
― あの青年は、まだ年若いため、自分から動くことが出来ないんだわ。私の方から誘えば、きっとうまくいくわね。
と勝手に決め付け、誘惑することにしました。
 次の日、巫女は沐浴し、髪を整え、きれいに着飾って、進士さまの来るのを待ちました。秀麗な青年と枕を共に出来ると思うと、巫女の胸は弾みました。
 例のごとく、巫女の家にやってきた進士さまは、こうした彼女の有様を見ると、さも不愉快そうに言いました。
「あんたは霊力の強い巫女だそうだが、どうして私の心の内も分からないんだ!」
 ここに至ってようやく進士さまの来意を理解した巫女は、少し落胆しましたが、これまでの経験から進士さまが何を望んでいるのか、おおよその察しはつきました。彼女は、神霊を祀った壇の前に平伏すと一心に祈りを捧げました。数分後、進士さまの方に向き直ると
「お気の毒だけと、想い人との御縁は無さそうね。無理に思いを遂げようとすれば、二人とも三年も経たないうちに冥界に行ってしまうわね。」
と告げました。
「忠告、忝(かたじけな)い。だが、そのことは既に覚悟している。」
 進士さまはきっぱりと言い切った後、
「で、あんたに頼みがある。これを渡して貰えないだろうか。」
と真摯な声で懇請しました。一途な思いに心を動かせられた巫女は
「本来ならば、私のような卑しい身の者は、先方さまから御声が掛からなければ宮内に入ることは出来ないのだけど、今回は特別にやってみるわね。」
と快諾しました。進士さまは懐から手紙を取り出すと
「恩に着る。くれぐれも気をつけてくれ。」
と言いながら巫女に手渡しました。
< 5 / 12 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop