吐息のかかる距離で愛をささやいて
5年前、婚約者だった彼との部屋を飛び出した私は、会社の近くの割と大きな駅にいた。ビジネスホテルに泊まろうと思っていたからだ。


結婚の準備のために、色々とお金もかかったが、それでも数週間ホテルで過ごせるくらいの貯金はある。



泊めてくれる友人が2人ほど頭に浮かんだが、同じ会社の同僚で彼のことも結婚のことも知っている彼女らのところに行く気にはなれなかった。


数日間ホテルで過ごして、落ち着いたら話してちょっとの間居候させてもらおうか・・・そんな考えが頭をよぎっていた。




「橘?橘夏帆?」



不意に名前を呼ばれ、あたりを見回すと、長身でスーツの男性がこっちを見ていた。


恐ろしく整ったその顔が記憶のどっかに引っかかる。


「橘だよな?俺、わかる?」



まだ誰かがはっきりしないせいで警戒心むき出しの表情をしているせいか、その男性は苦笑いを浮かべている。



「あ・・・」



その苦笑いが高校時代のクラスメイトと重なった。



「水沢くん?」


「そう。」



目の前に男性、水沢俊は満足げな笑顔で頷いた。
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