【第一章】狂気の王と永遠の愛(接吻)を
女官の姿がなくなるとキュリオは再び椅子の背もたれに身を預けながら穏やかな風の吹く大地を見渡す。
そんな彼の横顔はとても美しく、日の光を浴びた長い銀髪は淡い輝きを纏い、流れるようにその身を揺らしていた。

(キュリオ様……)

絡むことのない王の瞳を見つめながらウィスタリアは初めてこの王を目にした幼い日を思い返していた――。

 彼女は幼少の頃、父や母に連れられ王立の施設の記念式典に参加したことがある。その時の彼女は幼いあまりに式典の意味がわからず、とても退屈していたが……あふれる民の中心に一際輝く美しい彼の姿を見た。

『……父様、あの殿方はどなたですか?』

落ち着きのある優雅な振る舞いに目が奪われる。そして身に纏った上品な正装と整った顔立ちから読み取れるのは、人の上に立つ格のある人物であるということ。
小さな手で父の上着の裾を引いた可愛い娘の問いかけに父親は彼女を抱き上げると満面の笑みで答えた。

『ウィスタリア、お前は初めてだったかな? あのお方はキュリオ様さ! 
この悠久の王様でね。すでに五百年以上この地をお治めになっている素晴らしい王様なんだよ!』

そう話す父親の瞳は輝いており、見渡せば老若男女問わず万人の民たちが恍惚の眼差しを彼へと向けていた。

(悠久のおうさま……キュリオ、さま……)

ドキドキと高鳴る胸の鼓動と頬に集まる熱。この感じたことのない心と体の異変はまさに幼い彼女の一目惚れだった――。

 今では若い姿を保ったままのキュリオよりも幾分、年を重ねたように見える彼女の容姿。それでもウィスタリアは知性と品を兼ね備えた女神随一の美人と評判だけあって、その美しさは若かりし頃よりも遥かに磨きがかかっている。

まもなく三十を迎えようとしていたウィスタリア。
彼女がこの歳になるまで伴侶を持たなかった理由はただひとつ。

――キュリオを愛し、愛されたいという願いを捨てられずにいたからだった。

(ちょっとっっ! ウィスタリアってば見過ぎでしょ!!)

 マゼンタは美味い料理に舌鼓をうちながら、隣でキュリオに見惚れている一番上の姉をギョッと横目でみやった。そして恐る恐るキュリオの顔を盗み見したマゼンタはまたも悲しみのため息を漏らす。

(……こりゃダメだわ。キュリオ様ちっとも気づいてない……)

銀髪の王はウィスタリアやマゼンタの視線をまったく気にする様子もなく、先ほどからずっと悠久の地を見つめている。

(よ、よしっ……こうなったら……っ!!)

意を決したマゼンタは大きく深呼吸すると……

「ブーーーッ!! ゲホゲホッ……ゴホッッ!!」

「…………」

あまりに不快な効果音にようやく目を向けたキュリオ。しかしその瞳はどこまでも冷たい。

(……ヤッバ! 私かなり汚い女に見られてるっ!!)

やり過ぎ感が否めなく、キュリオの視線がとても痛い。そして徐々に蒼褪めていくマゼンタの顔色。

「どうしたのっ!? マゼンタ!! 大丈夫……っ!?」

すっかり汚れてしまった口元とドレス。そして悲惨なことに美しくまとめられた髪やリボンにまで料理のソースや肉汁が飛び散っていた。
慌てたウィスタリアは取り出したハンカチで汚れてしまった彼女の口元を拭おうと急いで立ちあがった。

「あ……いいのいいのっ! ……キュリオ様、お手洗い貸していただけます? ……へへっ……」

「……君という人は……」

うんざりしたようなキュリオの瞳。彼はまるで頭痛を抑えるようにこめかみへと指先を這わせている。

(……あ~ぁ。キュリオ様に嫌われちゃったな……)

あまりの悲しみに目頭が熱くなる。しかし、彼女は優しい姉のため大好きなキュリオに嫌われることを選んだ。

「……ごめんねウィスタリア、ちょっと行ってくるね」

キュリオに呼ばれたひとりの侍女がマゼンタへ付き添うと彼女は静かにその場をあとにする。
悲しみを押し殺したような妹の痛々しい笑顔には涙が滲んでいる。そんな彼女の表情からウィスタリアはわかってしまった。

「……っ!」

(マゼンタ……もしかして貴方わざと……)
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