聖夜に薔薇を
クリスマス・イヴ、午後七時。
 ガラスの向こうには街の灯が満天の夜空の様に瞬いている。大きな窓に広がる、美しい夜景の眺望。ベッドルームが別になった広い室内。ゴージャスとシックを共存させたインテリア。窓際に飾られたクリスマスツリー。そして部屋を満たす甘い薔薇の香り。プレミアムラグジュアリースイートと名付けられたその部屋は、まるで天上の城だった。こんな所でクリスマスイヴの一夜を過ごす事が出来れば、さぞプリンセス気分が味わえるに違いない。
 ただ残念なのは、相原花乃がここに脚を踏み入れたのがプリンスと甘い聖夜を過ごす為ではなく、その演出の為だという事だった。

 部屋に花を飾って欲しい、という依頼は別に珍しいものじゃない。部屋に花のプレゼント、というのは元々人気のサービスだ。また、ホテルで結婚式を挙げた場合には、新郎新婦の部屋に披露宴が終わった後の会場装花を持ち込んで飾る。けれど今日の様に当日になって、しかも部屋中を飾り付けて欲しいという依頼は初めてだった。予約をしているのが上客なので、ホテルとしてはそれが急過ぎる無茶な依頼でも断れなかったらしい。提携しているフローリスト織彩としても、同様に断る事は出来なかった。
 人手があれば急な依頼でも問題なかったが、困った事に織彩のスタッフの中で今日ここに来る事が出来たのは花乃一人だけ。恋人とホテル内のレストランで食事するというこの部屋の宿泊客が帰って来るまでに指定された場所に花を飾り、バスタブの湯には薔薇の花弁を散らし、花束も用意しておいて欲しいという依頼を昼過ぎに受けた花乃は花をかき集めて車に押し込み、今こうして甘い芳香を放つ薔薇相手に格闘している。

 依頼分の作業をほぼ終えて最後の仕上げに取り掛かっていると、ドアベルが鳴った。開けに立つまでもなく、重そうな扉が開く。

「相原さん、間に合いそうですか」

 きっちりと隙なくスーツを着こなした背の高い男が部屋に入って来る。ポケットに止めた名札には「コンシェルジュマネージャー 葛西幸人」の文字。ホテル利用者へのサービスを担当するコンシェルジュのトップだ。

「間に合いそうも何も、絶対に間に合わせないといけないじゃないですか」
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