足らない言葉に愛を込めて
足らない言葉に愛を込めて

もしかしたら哲が駆けつけてくる姿が見えるかもしれない。そう思って窓辺に立つと、さっきまで震えるような寒さの中で見続けていたエントランス前のイルミネーションが遥か下に現れた。地上20階から見れば見慣れた夜の東京もすっかり表情を変え、いつもは目が痛くなるくらいのネオンや外灯もそのひとつひとつが宝石のように輝いて見える。

「無理させちゃったな……」

仕事が押してまだ来られずにいる哲に感じるのは、感謝よりも申し訳なさ。ただでさえ先月転職したばかりでいろいろ余裕がないだろうに、こんないかにも哲が苦手そうなロマンチックなホテルに泊まるなんて、哲には気が重いに違いない。

私たちは燃えるような恋に落ちて恋人関係になったんじゃない。つい春先まではただの友人同士でしかなかった。だからうっとりするほど素敵な場所だけど、きっと今晩は甘いひとときじゃなくて、居心地悪そうな顔する哲を眺めて過ごすことになるんだろう。


大学生のとき知り合った哲は、お世辞にもモテるタイプの男じゃなかった。

無言で見下ろされると威圧されてるように感じるほど背が高くて、表情筋が死んでると揶揄われるくらい不愛想、人と喋ったりバカ騒ぎをするよりも本を広げていることを好み、教授や先輩、それどころかどんなに可愛い女子に話し掛けられても素っ気ない。私も含めて能天気な学生たちの中で哲は明らかに異質な存在だった。

でも積極的に自分からつるもうとしないだけで、哲は近寄って来る人に対して見た目ほど冷たいわけじゃなかった。話し掛けるのは私ばかりで相槌を打つくらいしか反応してくれないけれど、いつも本の頁をめくる手を止めてまっすぐこちらに向いて、どんなくだらない話でもちゃんと最後までじっと聞いてくれる。

そんな彼の傍にいると、不思議なくらい心地よかった。

よく哲のことを「あの人怖くない?」って聞いてくる子はいたけど、その度に自分だけが哲と親しいのだということに優越めいた喜びを感じた。哲も自分とはタイプの違うおしゃべりな私が物珍しかったのか、携帯で連絡を取り合ってふたりきりで出掛けるようになり、それは卒業後も続いた。

マイペースな哲は気が乗らなければ私がどんなに誘ってもきっぱり断ってくるから、本気で腹が立つことが何度もあったけど、その分私も食事でも遊びでも何にでも遠慮なく声を掛けられた。

カフェ系のおしゃれな店だけはどうしても苦手だという哲を、一度だけ「たまには私に気を遣いなさいよ」と言って仕事帰りに無理やりスーツ姿のまま引き摺っていったこともあった。

ピンクの壁紙の乙女チックな店で、珈琲だけ頼んだ哲に睨まれながら食べたパンケーキの味はちっとも覚えてないのに、ムスっとした哲の顔だけはいつまでも印象に残って、つい「あのときの哲の顔、結構好きだなぁ」ってこぼしたのがお酒を飲み散らかした同窓会の席。

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