不審メールが繋げた想い
司会者の挨拶が終わった。やっと映画が始まった。こういう体験がないと進行もよく解らない。こんな風にするんだと思った。
評論家でも無い。細かい論評なんてする立場でも無い。観て終わって、あぁ、好きな人の映画を観た、と思った。…今感じたのはそれだけだ。ヒューマンドラマ。これはこれでこういう話だ。いい話だった。でも何だか物足りない。解っていた。私が観たいと望むものは違ったテーマのもの…。ヒューマンドラマに少しでもいい、恋愛が絡んで欲しかった。でも、まあ、そうなると話は変わってしまう。
一人、それなりに余韻に浸っていた。終わったな…。やっぱりYさんばかり目で追ってしまった。もう一度、公開されたら改めて観よう。さて、と……帰ろう…。
上映が終わった反動だろう。気がつけば、人の話し声で何だかザワザワしていた。
…ん?壇上に人が出てきた。あー、司会の人だ。…まだ、何か話があるものなの?んー、経験がないから解らない。何だろう。注意事項、とか?
「えー、皆さ~ん、お待ちくださ~い」
「え、なに~」
少々面倒臭そうに呟いたのが聞こえた。
本当、そうだ。慌てて出てきてなに?もう帰るのに、一体なんだろう。
「席にお着きくださ~い。帰ってしまうと後悔しますよ?」
「えー…なに…」
そうだ。今のところ全く解らない。…後悔?
「皆さん、座られましたか?…では。大変です…驚かないでください。よく聞いてくださいね。いいですか?何とか間に合いましたので、ご紹介します」
紹介?
「実は…なんと……。ただ今より、主演のYさんによるトークショーがございま~す。急遽、駆けつけてくださいました。えー、では準備は……OK?はい、OKのようなのでお呼び致しましょう。主演のYさんです、どうぞ~。…ん?」
………え?…今、何て…。
「キャーッ!」
「…えーっ!?キャー!!…嘘。ねえ、本当?どこ?あっちから?こっちから来るの?ねえ、嘘、本当?本当に来てるの?」
…あ…。近くの席の人が友達を引き上げるようにして立ち上がった。相手の肩をバシバシ叩きながら興奮しているようだ。…好きなのね、可愛い…。はぁ。しかし…、なんですと?トークショー?…本当に?あのYさんが?…本当に来てるの?…本当?
…トーク出来るのかな。
もう、収拾がつかない騒ぎになり始めていた。ザワザワどころじゃない…なるよね。
「キャー!!来た?まだ?…もう、誰。今、来たって。嘘、まだじゃない…もう。ねえ?顔、変じゃない?塗り直そうかな。間に合う?」
ハハハ…興奮し過ぎだって…。だけど、トークショーなんて…聞いてない…。始まる前、最初に言った?聞き逃したのかな私。否、みんなの様子からして言ってないよね。やっぱりサプライズ?こんな地方の映画館に来るなんて…本当に?試写会って、そんなものなの?
あ、司会の人が様子を窺うように拍手をしながら袖に一歩二歩と歩み寄った。頷いている。まだだったのかな…じゃあ、やっと出てくるんだ。そんな感じ?
本当に…来てるんだ。私だって目の前で見るまでまだ信じられない。
…あ。…う、そ。ほんと…だ。
舞台の袖からスーツの前を合わせながらゆっくり出て来た。ボタンを留めた。軽く手を挙げると悲鳴のような歓声が上がった。中央まで来たところでマイクを渡された。客席に視線を送りながらまた手を挙げた。ゆっくりとした動作…挙げたままの手を軽く振った。
「キャー!!格好いい!」
また歓声だ。…凄い…やっぱり芸能人だ。あー、本物…本当にYさんだ…。そうよね?そうなのよね?
……まさか本物を見る事が出来たなんて…ユミちゃん……見ちゃったわよ…居るのよ目の前にYさんが。あ。慌てて口を手で覆った。多分、ポカンと開けた口を見られない為だ。
耳が痛いくらい歓声が上がり続けた。…止まらない。収まらない。ファンだからっていうのもある、勿論だ。だけどこんな地方に来たら、例えファンでなくても市民の大半が俄ファンになってしまうだろう。
今日、Yさんは黒のスーツ姿だった。…はぁ、やっぱり素敵です…格好いい。流石です。若い頃から変わらない体形も凄い…。余談だけど、最近はなのか好みなのか、ただ用意されている物なのか解らないが、誰も彼も、衣装は黒で統一されている事が多いような気がした。更に余談だけど、日本人は黒が好きだとも言われている。
……身長も高いし…、マスクも相変わらず綺麗に整っている。舞台映えする…確かに、ずっといい男をキープしている。最近は年齢からくる男の色気なるモノも自然に出ているようで…。流石、芸能人、だ。
そりゃあね、ファンにしてみれば、こうして目の当たりにしてしまうと、興奮するなって方が無理な話でしょうから。
司会者が、はい、落ち着いて、座ってくださいって、ジェスチャー付きで、もう必死になって繰り返し言ってる。泣いてる人だっている。
Yさんは…いつもと同じ?その司会者の様子を見てちょっと笑って、直ぐ真顔に。…フフ、やっぱり。そんな感じの人だ。自分から特別何かを言ったりしない。
中々収まらなかった。無理無理。それは無理というものでしょう。サプライズなんてするからこうなるんだ。数メートル先には居るんだから。そりゃあ興奮しちゃうでしょ。もっと近づきたいってみんな思ってるだろう。押し寄せたらどうするつもりだったのだろう。……いつになったら話し始められるのか…。
でも、キャーッて言われる若い年代にもファンが居るなんて凄いかも。私達世代、敢えて達って複数にしたのはここに来ている年齢層が私と近い人が多いからだ。“その私達世代”は、少し落ち着いて来たから…黄色い声とはちょっと遠くなったかな。…黄色い声ってね、その表現すらも解らないかもな世代よね…。
それにしても…相変わらず、見た目、年齢より遥かに若いしね。とても自分と歳が近いなんて思えない…。全てにおいて…流石ですとしか言いようが無い。本当…世界が違います。はぁぁ…同じ人間?、…フフ。嫌になるな…。
表情が堅い、緊張してるみたい。マイクを見て握り直した。静かになりつつあった。いよいよ…始まるのね。
「えー、んん…皆さん、こんにちは。えー、…今日はお会いできて嬉しいです。映画はどうでしたか?…」
低くていい声だけど…聞き取れない。一言喋る度、キャーって言うから余計にだ。まあ、紛れもない生声ですからね。興奮するなって方が無理というモノ。
これが見納めってくらいにじっと顔を見てしまっていた。事実そうだ。会うことはもうない。
きっとみんなの視線を一点に感じてるんだろうな。やっぱり緊張してる。………え?う、そ…心臓が踊った、ドキッとした。…まさかね。
今の……一瞬、目が合った気がした。いや、無い無い。勘違いだ。こんな事はよくあると聞いた事がある。コンサートなんかでもアーティストが自分を見て、絶対、目が合ったって、みんな言う。…みんな思うらしい。今の私もきっとその現象だ。中には合ってる人も本当に居るだろうけど。
トークショーは、あっという間に終わった感じだ。そして、なんと…こっちに降りてくるようだ。観客と一緒に撮影をするようだ。慌てた。私は急いで荷物を手にして席を立った。写らないよう外れるためだ。急な事にあたふたした。…こんな感じで写り込んで、何かで放送されて知らない人の目にまで晒されたくない。やだやだ。
更にザワザワし始めた。少しでも近くのポジションを確保したいのだろう。
集合して混雑する前に帰ろうと思い、客席の横にあるドアに足早に向かった。
俯いて歩いていたから、ドアの前で誰かにぶつかった。黒いシステム手帳が足元に落ちて来た。
「あっ、ごめんなさい、前をよく見ていなくて。すみませんでした」
汚さなかっただろうか、壊さなかっただろうか…拾って手ではらった。
「いいえ、大丈夫です」
落ち着いた低い声だった。
「ごめんなさい、これ」
「有難うございます、…ぁ」
ろくに顔も見ず、声の主、手帳の持ち主であろう男性に両手で渡し、その場を慌てて離れた。
はぁぁ、やっぱり少し落ち着いていないのね私も。いい歳をして…恥ずかしい。はぁ。
でも、なんだか勿体ない、かな。この中にYさんがまだ居るっていうのに。
……ん、ま、会えたんだし。凄いおまけ、もらっちゃった。……帰ろう。
外に出て建物を一度仰いでから駅に向かった。