幸福に触れたがる手(短編集)






 結婚披露宴に行っていたはずの柳瀬さんは、なぜか腹ペコだった。

 昔お世話になった演出家さんの結婚式で、その演出家さんから「余興でミュージカルのシーンを軽く演って欲しい」と頼まれ、披露宴そっちのけでリハーサルをしていたらしい。
 そのお陰で懐かしい役をもう一度演ることができたけれど、食事どころではなかった、と。複雑な表情だった。

 それにしても舞台役者たちが余興でミュージカルのワンシーンを演じるなんて。豪華すぎる。そしてちょっと見たかった。
 いとこの春くんに紹介されてからの数年、柳瀬さんが出演する舞台は皆勤賞だったのに……。くっ……。


 皆勤が破れた悔しさはとりあえず置いといて、腹ペコの柳瀬さんに、大量に作った餃子を焼いた。
 半分は茉莉ちゃんたちに持って行ってもらったけれど、餡も皮もまだあるからどんどんおかわりできますよ、と伝えると「いいからこっち来て食え」と床をぽんぽん叩かれた。

 素直に隣に座って食べ始める。
 柳瀬さんはもう上着を脱いでネクタイも外し、腕まくりをして、随分身軽な格好になっていたけれど、わたしはまだ少しどきどきしていた。のは、やはり、二ヶ月ぶりに会うからだろうか。



「これからは、もっと頻繁に来るから」

 お皿を空にしたところで、柳瀬さんが言った。
 急な話題に首を傾げると、今日に到るまでの経緯を詳しく話してくれた。


 大晦日に、何年も同じ舞台に立っていたみんなで久しぶりに集まろうという計画は随分前からあったらしい。
 年末くらいわたしと過ごしたいと思ってくれていたそうだけど、あの頃のメンバーが一堂に会する機会なんて滅多にないから、と。参加を決めたら、当時の座長として幹事を任されたそうだ。
 でも当日になって何人かが突然「行けない」と言い出した。わたしが「年越しそば食べに来ませんか」と電話をしたのはこの直後のこと。だからあんなに不機嫌だったのか……。

 みんなのお兄ちゃん的存在だった人が来たら幹事の任を託してここに駆けつけようと思っていたのに、いつまで経ってもその人は来ず。電話をしたら「女といるから無理」と言われた。
 俺だって女の所に行きたいのに、と抗議したけれど、聞き入れてもらえなかったらしい。

 結局お正月も先約が入っていてうちに来れないでいるうちに、新しい舞台の稽古が始まって、他の仕事や余興のリハーサルが入って、今日。

 式場で、大晦日に来なかった「お兄ちゃん」に抗議をし詳しく事情を聞くと、どうやらその人と彼女は同じマンションに住んでいて、毎日のように会って一緒に過ごしているらしい。
 羨ましいやら妬ましいやらでぶーぶー言うと、その人は「大事にしないと逃げられるぞ」と、柳瀬さん曰く「尋常じゃないくらいのドS顔」で笑ったそうだ。

 そしてその人から、もう一言。

「なかなか会えないってぶうたれるなら、一緒に暮らすか同じマンションに引っ越したらいいじゃねえかって。千穂はどう思う?」

「え、え……?」

 今日に到るまでの経緯を話していたはずが、突然の質問。話を聞くことだけに集中していた頭はすぐに切り替わらず、「え?」を繰り返して首を傾げた。




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