ビルに願いを。


外を眺めながらコーヒーを飲み、ついでに置いてあるお菓子ももらって来ちゃった。至れり尽くせりなこの環境に、慣れてしまっていいのか悩むところではある。

スタッフとして身の程をわきまえるように麻里子さんに言われたこともちゃんと覚えている。今は社長命令だから誰も何も言わないが、変な状況であることは変わりない。

エンジニアとしてもスタッフとしても役にも立たず勉強してるだけでお給料をいただいているなんて、いつまでも続けられるわけないって知ってる。




席に戻ると伏せて置いたはずのさっきの紙がなくて、下に落ちたのかとキョロキョロ探してみた。

あれ? 引き出しにしまったんだった?とガタガタと探してもどこにもない。

まずいな、似顔絵描いちゃったのに、とふと右隣の席を見て動きが止まった。

キーボードを叩く両腕の間にあるのは、あの紙に見える。丈はカラフルな色ペンなんて普段使ってない。

涼しい横顔でマウスも使ってカチカチと何かやっている。

「こんな感じ?」

目線はそのままに話しかけられた。見ると、私の落書きが画面上で動くものになっていた。スタンプが1つ1つ増えて、たまに大当たりで一気に増える。

「すごい」

それしか言えない。私がいなかったほんのすこしの間に?

「まだ見た目だけ。裏にコード書く。杏でもわかる簡単なのにしてやるよ」

チラッと横目でこちらを見て「明日まで待ってて」と小さく言われた。



杏、て今言ったよね? 初めて名前を呼ばれた。やった!

そんな小さなことも、今の私には大きな一歩に思える。

それに本人にはわからないだろうけど、丈のふとした目線や発言には色気があると思う。寝起きに「ケイティ?」って呼ばれた時のあの感じを思い起こさせる。

だからなんだってわけじゃないんだけどね。引力があると思うの、この人。カリスマ性ってやつかもしれない。


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