恋愛生活習慣病

act.18

冬也さんはアルネゼデール家とシンガポール・リー家の血を引いている。

って何。誰だよ。

聞いたことが無いと言うと、クロエさんは心底呆れた顔をして『アルネゼデール家はフランス系財閥、リー家はクーロン・リーと呼ばれている英国香港系のシンガポール財閥に決まってるでしょ』と教えてくれた。


財   閥。   


ってなんすか。

財閥って単語、教科書で見た記憶しかない。日本は財閥解体されたから財閥って無いよね。
クロエさんは常識でしょみたいに言うけど、日本人で庶民の私にとって財閥ってそれくらい現実味の無い存在なんですが。

ぽかんとしているとクロエさんが、バッグから口紅を出した。


『例えばこのリップスティック。これを製造販売している会社はアルネゼデール系企業。私たちが働いてるTOKYOオフィスが入っているビル、Sky Next TOKYOはクーロン・リーの関連企業のもの。ホテルチェーンのCitron Orientalがクーロン・リーなのは知ってるでしょ』


いえ、知りません。
ていうか、おっしゃる意味が、さーっぱり分かりません。
冬也さんとその企業になんの関係が?
私、英語の解釈間違ってる? なんかとんでもない話になってるんですが。


『つまり、アルネゼデールもクーロン・リーも、世界的に事業展開をしている巨大企業。貴女が両家の名前を知らなくても、クーロン・リーの建てたビルやアルネゼデールの商品は知っているでしょう?』

『あ、はい』


それは知ってるので頷く。
で、冬也さんとその財閥とやらの関係は。


『トーヤは本家の直系男子ではないわ。けれど両家の中でも特に優れていると評判で、実権を渡す価値がある存在だと言われてる。だってあの頭脳に行動力、判断力、美貌にカリスマ性まで備えているのだもの。重要なポジションに就かせたいと思うのはもっともよね』

…………えーと。

あまり使わないような単語が出てきたし、私、理解できてない気がする。
えーと、つまりそのどえらい企業を持ってる人たちと親戚ってこと?
冬也さんは優秀だから関わりのある会社の重要なポジションに就かせたいと思われてて……よくわからん。
クロエさんの言い方から考えると、アルなんちゃら家とリー家は親戚ってだけですごいのだろうか。
株とか貰ってすごくお金持ちとか。


『あのすみません、つまり冬也さんは超セレブってことですか?』

『セレブ?セレブってcelebrityのこと?』


あ、そうだ。日本語のセレブと英語のセレブって意味がちょっと違うんだっけ。


『いいえ。えーと、つまり冬也さんがすごいお金持ちなのかってことです』

『知らないわよ、そんなの』


クロエさーん!散々語って知らないんかーい!

ってツッコミたいけど初対面の怖い美人さんに英語でそれはできない。
それにクロエさんが余計に不機嫌そうな顔になったから黙った。


『彼がリッチなのは一目瞭然でしょう?でも大事なのはそこじゃないわ。貴女、私の説明を聞いていなかったの?重要なのは彼の資産じゃなくて、彼の持っている人脈とフィールドよ』


へ?


『彼にはアルネゼデールとクーロン・リーのどちらにも、血脈に基づいた強固な人脈がある。それを活用するだけの才能も十分に持っている。近い将来、重要なポジションに就くことは間違いないわ。だからその隣に立つ女もそれだけの価値がある女でなければならないのよ』


一部の欠けもなく赤く塗られた優雅な指先で、口紅をバックにしまったクロエさんは、顎を上げて私を見下ろした。


『私にはその価値がある。頭脳も容姿も、彼にふさわしい女になる為に、ずっと努力をしてきたわ。彼は私を信頼しているし、私も彼を信頼し、尊敬してる。彼と一緒に、もっと上を目指したいの。私なら、それができる』


グレーの瞳が私を真っ直ぐに射抜く。
怒り、嫉妬、口惜しさ。黒い感情の籠った視線が痛い。


『彼を、愛しているわ』


何より強い気持ちが、ずぶりと、私の中途半端な心に突き刺さってくる。


『貴女はどう?彼の役に立つ何かを持ってる?彼のために何ができるの?』


何ができる?

私。

何も、持ってない。
何もできない。


頭脳も美貌も能力も、ましてやビジネスに役立つ人脈なんて持っているはずがない。
ド庶民の、普通の、一般人。
誰かのための努力どころか自分のための努力すら……ああ、最近はダイエットと仕事を頑張ったな。けどその程度。

冬也さんを好きだって気持ちすら、あやふやで形にもなってない。

クロエさんは愛していると言った。
だから彼のために努力をしてきたと、持っている全てでこれからもサポートしていくのだと、その覚悟があるのだと言う。


『冬也から素性を何も聞いていない程度なのだから、あなたの存在なんて気にすることはないのかもね』


確かにそう。
信用されていないのか、教える必要がないと思われているのか。

あー。

かなわないな。

全てが、この人にかなわない。


冬也さんはやっぱり、私とは住む世界が違う人だ。







「なんだお前、しけた顔してんな!」


翌々日の日曜日。

先日会った海外交流研究会の元仲間と、バーベキューに来ている。
岡崎は朝からテンションが高くて、暑苦しく絡んでくるからウザい。

この前のメンバーの都合を確認したら、今月も来月もみんなの都合が合う日が今日しかなかったらしい。
金曜日の夜に誘いのSNSが来てて、急すぎるし出かける気もなくて無視してたんだけど、結局参加している。



あの日、心がポキンと折れた私はクロエさんに帰ります、と伝言を頼んで帰った。

冬也さんからは電話やメールがひっきりなしに入ってたけど「疲れたので寝ます」とメールで返事をして、それっきり電源を落としている。
土曜日は部屋に引きこもってゴロゴロしようと思ったら、昼過ぎに雅くんが家に来た。
手には何故かレトルトのお粥とイオン飲料水。

なんで私んち知ってるの!と思ったら、犯人は紗理奈だった。
バーベキューの件で雅くんが紗理奈に連絡した時に、私と連絡が取れないと言ったらしい。


「あの子、最近激やせして仕事もハードだったみたいだから体調崩してるかも」


といらぬ心配をして、仕事で様子を見に行けない自分の代わりに雅くんを寄こしたのだ。


「雅さんは李紅にとって暗黒の元カレですが、腐ってもドクターなので往診してきてください」


暗黒の元カレって言われたよと雅くんは苦笑い。
紗理奈、心配してくれるのはありがたいんだけど、人選ミス。


「熱でも出してたらと思って買ってきた」


差し出されたコンビニの袋を受け取って、ありがとう、と戸を閉めようとしたらメシ食いに行こうと誘われた。
そんな気分じゃないし断ろうとしたんだけど。


「ひとりで飯食っても味気ないから、少しだけ付き合って」


と、寂しそうな笑顔で言われて。私も弱っているせいかちょっとほだされてしまった。
しかもタイミング良く、お腹の虫が騒ぎ出して空腹をごまかせず。
それで近所の定食屋に食べに行って、その時にバーベキューは明日決行だと告げられ。
急すぎるとごねたけど「紗理奈や彩芽が心配しているから、顔だけ出せ」と言われた。


「何かあったんだろ?連絡が取れないって聞いた時はスマホの充電切れを放置してるだけだろと思ったけど、顔見たらそうじゃないって思った。何があったのかは聞かないけど、そんな顔して家に籠ってたって余計に気が滅入るぞ」


頭をぽんぽんされながら「青い空ときれいな景色見て、美味いもの食ったら元気が出るから来いよ」なんて優しく言われて、ほろっときてしまった。



で、現在に至る。

アウトドアに慣れているという長友くんが手慣れた様子で用意し始めたんだけど、持参の分厚い金属の蓋つき鍋や重そうなフライパン(ダッチオーブンとスキレットって言うらしい。初めて知った)が登場して、焼きカブとチーズのサラダとかターメリックライスのチキンケバブ乗せとかメキシカン・グリルド・コーンとか聞きなれないお洒落で凝った食べ物が次々と出てきてビビった。

バーベキューって肉と野菜のざっくり切ったやつを焼くだけじゃないの?
アボカドと海老のアヒージョってなんだよ。肉は高そうなステーキ肉だし焼肉のたれじゃなくて、ちゃんと揚げニンニク付きのソースまで作ってるし。
……長友くんよ、紗理奈のために気合入れすぎ。


「ダッチオーブンでパンを焼いて、肉から叩いて作ったあらびきハンバーグを挟んで食べると美味いんですよ。カレーの時はもちろんナンを焼けるし。この鍋はいろいろ使えて便利だから、ひとつは持っておくといいですよ」


笑顔で紗理奈に鍋の購入をお勧めしてるけど、長友よ。
紗理奈は私と一緒でハンバーガーはスマイル・ゼロ円の店で買って来るし、ナンとカレーが食べたけりゃインド料理店にひとりで行く女なのだよ。
そんな名前も知らない重そうな鍋、要らないから。
ほら、紗理奈、引いてるから。気づけ。

長友、おそるべし。
私もアウトドアは割とできるほうだと思ってたけど、足元にも及ばない。
いや、アウトドア力というよりこの場合、女子力か?
でも長友くんが全部仕切って上手いこと男どもに指示してくれるから、女子はお客様扱いで超ラクだ。

バーベキューの施設は海が見える高台にあって、風に乗って潮も香りもする風光明媚な場所だった。
ここはレンタル機材や食材販売があるので手ぶらでも来れるらしい。
今回は長友くんがものすごく持ち込みしてるけど。

食後の後片付けはさすがにやるよ、と心地よい風に吹かれながら洗い場で鍋を洗っていると、雅くんが来た。

「重いから俺が洗うよ」

「ありがとう。マジで重いこの鍋。長友くんガチで料理好きだね。どれもすごく美味しかった」

「紗理奈にいいところ見せたかったんだろ」

「上級者すぎて、紗理奈はちょっと引いてたけどね」

「だよな」


紗理奈が料理嫌いなことを知ってる雅くんと私は、さっきの二人の様子を思い出して笑った。

普通だ。
私、普通に雅くんと話してる。

もう会いたくないと思ってたのに隣に並んで笑ってるし。
人は3年も経てば傷は癒えて忘れるものなのか、私が適当過ぎて気にしなくなっているのか。

ここ3年間のお互いの話や共通の友人たちの話をしながら、私は感情の揺れがないことに驚いていた。

なんか肩透かしを食らった感じ。
もっとこう、憎い!とかでもまだ好き!とか複雑な心の機微みたいなものがあるかなーと思ってたんだけど。
いたって普通じゃん、私。


「なんか、俺たち違和感ないな」


雅くんも同じようなことを感じていたらしい。
洗い終えた鍋や道具をふたりで運びながら、そんなことを言って苦笑いしていた。


「まあ、長い付き合いでしたから」

「そうだな。李紅は俺のダメなところもみんな知ってるもんな」


このダメなところ。
思い浮かんだのは女性関係。
モテる人だったから、付き合っている時にも他の女の影がちらほらあった。
まあ私のことがそれほど好きじゃなかったからだろうけど。

ダメだったのは私だ。

私のことがそんなに好きじゃない男なんて、こっちから捨ててやればよかったのに、縋っていたのは私のほう。

今思えば、恋してる自分に酔ってたんだろうな。
雅くんが好きすぎて辛いとか言ってたアホな私、今の私だったら殴って正気にさせるのに。
私が雅くんのことで泣くたびに何度、彩芽と紗理奈に「別れろ」と叱られたことか。


< 19 / 29 >

この作品をシェア

pagetop