恋愛生活習慣病
自然のリズムに合わせましょう。

act.21

◇◆◇

夜の街に浮かぶ東京タワーがキャンドルのように見えた。

宝石箱をひっくり返したような色とりどりの煌めく夜景は、高層階の天空レストランからみると現実味がないほどに美しい。

今日は夜景が綺麗なところで食事しようと誘われたのは個室のレストランだった。
思いつきで行ってすぐには入れるような店ではない。
店の前に掲げられた上品なプレートに記された名は、三ツ星を5年連続でとった店だと記憶している。
もちろん行ったことなどない。いつかは行ってみたいお店なのだと、彼に雑談で話したことはあるけれど、まさかそれを覚えていたのだろうか。


「どうしてここ?今日は誕生日でもないよね」


彼女の誕生日は半年前で、彼の誕生日にはまだ3か月ある。
仕事で良いことがあったにしても、祝杯をあげるには少し高級すぎやしないだろうか。


「記念日だから」

「記念日?」


それ以上もそれ以外も理由はないと言う。

まあ美味しいものを食べるのに理由は必要ないかと、彼女は気持ちを切り替えた。
ちょっとお値段は張るだろうがちゃんと働いて日頃は贅沢をしていないのだからたまにはいいかもしれない。
そうだ。今日は美味しいもの記念日にしよう。
そう思って一品一品を楽しんだ。

口の中でふわりと香りが広がるシャンパンも、カラフルなオードブルも、カカオソースのお肉も絶品だった。
デザートは赤い薔薇の花を使った目にも鮮やかなショコラで思わず歓声を上げた。


「わあ、可愛い。こっちの白いアイスにも花びらが入ってる!」


見た目が素敵なデザートはどんな楽しい味がするのだろうとワクワクしながらスプーンを口に運んでいると、ドアがノックされ、銀のワゴンが運ばれてきた。

ワゴンには白い大きな箱と白いレースのハンカチが掛けられた銀のトレーが載っている。


「こっちが本当のデザート」


そう言って彼が大きな箱の中から取り出したのは、真っ赤な薔薇の花束だった。

はい、と渡された花の数は11本。


「デザートの薔薇は同じものを使ってもらったんだ」


だから、お皿の上の花が12本目。そう言って彼は照れくさそうに笑った。


ダズンローズ。


由来は昔のヨーロッパのプロポーズだ。
1本1本に誓いを託し、12本の薔薇とともに相手に愛を誓う、昔の習わし。


彼はそのことを知っていたのだろうか。
誰かに聞いたのか調べたのかは分からないけど、ロマンチックな演出に胸がいっぱいになる。


「こっちが今日のメインディッシュ」


彼は銀のトレーからハンカチを取った。

ハンカチに隠れていたのは、白いリボンのかけられたスカイブルーの箱はだれでも知っている宝石店のアイコンカラーのもの。
手のひらに乗せられ箱を開けるよう促された。

震える手でリボンをほどき、箱の蓋を開けると、透明な宝石がキラキラと輝く洗練されたデザインの指輪が入っていた。

彼の長い指が、箱からそっと指輪を取り出し、彼女の左手薬指に運んだ。


「李紅。俺と結婚して欲しい」



◇◆◇



そんなプロポーズの妄想は何度もした。
妄想を通り越してシミュレーションと言っていいくらい何度も何度も思い描いてた。

でもそんな余計な準備はホントに余計でしかなくて、雅くんは拍子抜けするくらいにあっさりと私の元から去った。

李紅との将来は考えていないと言って。

ダズンローズは私のものにはならなかった。


「李紅、俺と結婚を前提に付き合わないか?」


なのに、なぜ、いま、この男はこんなことを言うのだろう。


「あの、雅くん? 何を言っているのか意味不明なんですけど」


三年前、私は雅くんに振られた。

再会したらまた付き合いたいって思われるほど、愛されてはいなかった。
それはもう、痛いほど分かってる。
だからこそ、諦めた。
前を向こうって決めて生活も仕事もリセットした。


「久しぶりに会ったら、李紅が綺麗になってて驚いた」

「はい?」


それは……ありがとう。
昔はそんなこと言われなかったぞ。もしかして雅くんはぽっちゃり系が好きだったのか?


「再会して分かったんだ。やっぱり俺には李紅みたいな女が合ってる。普通の女が一番だよ。李紅みたいに大飯食って笑ってるような、全然飾ってない女が楽」


……軽くディスられてる気がするのは気のせいだろうか。
話の流れからいって好意を告げられているはずなのに、微妙に嬉しくない。

うん。嬉しくないな。
あんなに好きだった雅くんに仮にもプロポーズぽいことを言われてるのに嬉しくない。
何故か結婚を前提にって言ってるから、一応口説かれてるんだろうけどメンドウクサイと思ってる自分がいる。


「結婚前提にって……結婚に疲れたって、この前言ってたよね?」

「うん。前の人とは合わなかったから。でも李紅は違う。俺たちは長い時間一緒に居て、お互いのいい所も悪い所も知ってる。俺たち、結婚しても上手くやれると思うんだ」

「あの、ちょ、ちょっと待って。急に結婚とか言われても困るし」

「急でもないよ。李紅だって俺と結婚したがってただろ」

「いや、それ三年以上前の話だから。今は違うから」

「三年、冷却期間を置いたと思えばいいんじゃないか?付き合った年数を考えれば急な話でもないだろ」

「いやいやいや急だよ。急展開だよ。どしたのいったい。焦ってるみたいに、何でこんな話になってんの」


前のめりな雅くんの胸を両手で押えて距離を取った。
じゃないと今にも抱きしめられそうだから。いったいどうしたの本当。この人酒癖悪かったっけ?


「ああ、焦ってるよ、変だよ。自分でもそう思うよ、らしくないって。でもしょうがないだろ。俺がもたついている間に、お前が誰かの物になったらどうすんだよ」


どうするって、どうにもならんがな。


「あの、私そんなにモテませんけど」


自分で言うのもなんですが。ええ、モテませんよ。ここ三年彼氏もいませんし。
半眼仏頂面になってそう言うと、雅くんは驚くべきことを口にした。


「岡崎と長谷部がお前のこと好きなの、気づいてないだろ」

「は?」


ほら、気づいてない、と雅くんは溜息なんて吐いてるけど。いやいや。


「それはないって。雅くんてば何言い出すかと思えば。何の冗談」

「冗談言うかよ、こんな時に。あいつら、俺と付き合ってる頃からお前のことが好きだよ」


はあ? 

あの二人が?ないない。信じられない。だって。


「あの人たちの私の扱い、昔も今も、結構ひどいけど?」

「ガキなんだよ。好きな子に意地悪してしまうの法則」


大人なのにその法則に従っちゃうのか男子。バカ?


「あいつら、李紅が前より可愛くなったって浮かれてたし。ふたりとも今彼女いないし本気出すって言ってた」


本人たちが言う前にバラすのは反則だって分かってるけど、と雅くんはちょっと辛そうな顔をして、頭をガシガシ掻いた。


「だからさ、李紅。俺と付き合って。今すぐ結婚してくれっていう訳じゃない。それだけ本気だって言いたいんだ。李紅が俺のものになるならなんでもいい」


ええええええ!?
まさかのモテ期到来!?


「いや……でも私、誰とも付き合う気はなくて、ヒモ彼が欲しいんで……」

「俺は仕事を辞める気はないからヒモにはなれないけど、家事なら俺がする」


なんと……! まさかの家事やってくれる発言。

それはすごく魅力的だけど。
雅くんはすごく好きだった人で、知り合ってからの付き合いも長いから気心も知れてるし、イケメンだけど前みたいにドキドキしないから一緒に居て楽だろうけど。

大きな手のひらがそっと私の頬を包む。
視線を上げると、優しくて、素敵な雅くんの笑顔。



「私……」


だけど。

雅くんに甘い笑顔で頬に手を当てられても、全然ドキドキしない。
昔だったら死にそうに心臓が脈打つのに、今はそれがない。

私がドキドキしてキュンとするのは。


「あのさ、雅くん」

「今すぐ李紅から離れろ」


突き刺さるような冷たい声が辺りに響いた。

遮った声は雅くんのものではなく、背後から投げられたもの。
低く地を這うような声に二人してビクッとなって後ろを振り向くと、


「と、冬也さん!?」


まさかの冬也さんが立っていた。

スーツ姿じゃなくて、Tシャツにトレーニングパンツのラフな格好。
いつもは完璧に整えられている髪が乱れ、前髪が汗で張り付いていた。走ってきたのか肩で息をしているし眼鏡も少しずれている。
飲食店エリアとは言え、スーツやお洒落な格好のお客さんばかりのここで、トレーニングウエア姿は少々違和感なうえ汗も滴る長身美形はひどく目立ってて……。


と、いうかそれよりも。


誰かを射殺しそうなくらい恐ろしい目をしている。
ど、どうしたんですかいったい。
絶対零度に冷え切ったオーラ。
気のせいか、びょぉぉぉぉぉという効果音と吹雪の幻が見える。

ブリーザ様、降臨……!

少し離れた場所にいた冬也さんは雅くんを視線で氷漬けにしたまま大股でこちらに来ると、私の頬にあった雅くんの手をべりっと剥がして私の手を取った。


「と、冬也さん?」

「李紅、言い訳があるなら後で。じっくりとお仕置きをした後で聞くよ」


有無を言わせない口調に本気で背筋が凍った。目がコワイ。顔がコワイ。お仕置きってなに。
ぐいと私の手を引っ張りその場を去ろうとした冬也さんだけど、ふと何かに気づいたように立ち止まって元の場所に戻った。


「スマホを出せ」


いきなり言われた雅くんは金縛りにあったみたいに固まってたけど、再度ドスの効いた声で「今すぐお前のスマ―とフォンを出すんだ」と命令されると、反射みたいに上着のポケットからスマホを出した。

冬也さんはそれを奪い取ると雅くんの指をボタンに押し付けて指紋ロックを解除させ、ものすごいスピードで何やら操作し、押し付けるように返した。


「もう二度と李紅に連絡するな」

「……は?ちょ、ちょっとまてよ。あんた、今なにした」

「李紅の連絡先を消しただけだ。君には必要がないものだろう」


ようやく我に返った雅くんは、いきなり現れた男の理不尽な行為に当然ながら怒った。


「李紅は俺の彼女です。あんたに指図される覚えはない」

「それは違うな。君の勘違いだ。李紅は君の彼女ではない」


きっぱり言い切られて雅くんは言い返せず、一瞬言葉を詰まらせた。
実際、雅くんの彼女じゃないけど。さっきの「付き合おう」に私、返事してないし。


「彼の勘違いだよね、李紅?」


不意に振られた声は表面は優し気だけど、怒ってる。目がコワイ。
もしかして冬也さん、相当怒ってる?
てか、なんでここにいるの。


「李紅」

「は、はいっ」


コワイイイ!! お仕置きって言葉がなんだか現実味を帯びてきたんですけど……!


「待ってください。あなたは誰ですか。李紅とはどういう関係なんです」


本気で怯えている私に気づかないのか、雅くんは果敢にも冬也さんに食ってかかった。
しかし雅くんも怒っているのに無意識に敬語。うん、タメ語は使えないよね。この冬也さんの雰囲気、怖すぎる。


「俺か?」


冬也さんは、握っていた手をほどいて、その手で私の髪をなでると、ひと房掬ってキスをした。
私の目を見ながら小さく笑うその表情は妖艶という言葉そのままで、思わず見とれてしまった。

まるで悪魔の微笑み。

怖いと分かっているのに惹かれずにはいられない美しいいひと。

魅入られるとすべてを投げ出したくなるような笑みを浮かべて、冬也さんはひとこと言った。


「俺は、李紅の男だ」

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