恋愛生活習慣病

act.23

翌朝。
というかほぼお昼だったけど、目覚めても腰や体のあちこちが痛くてベッドから出られない私に気づいた冬也さんは、まめまめしく世話を焼き始めた。

カーテンを開け、そっと体を抱き起して背中にクッションを入れ、いい香りのする温かい紅茶を差し出してくれる。


「ありがとうございます」


ティーパックではないと素人でも分かる高級なお茶は、イケメンに淹れてもらって風味が3割増しである。美味しい。
昨夜は怒涛の展開で、心身ともにすごく疲れた。
紅茶を飲みながらぼんやりしていると、「考えていたんだ」と冬也さんが口を開いた。


「恋に落ちたきっかけ。好きになった理由なんてないけど、きっかけはあったよ」


それはすごく聞きたい。
いったい私のどこを好きになってくれたのか。恥ずかしいけど気になる。


「2階のカフェで李紅を見かけたことがあったんだ」


ランチタイムはとっくに過ぎた時間だったけど、私はその店で遅めの昼食を摂っていたそうだ。
その時私は、女性にしては多い複数のサンドイッチを、もりもり食べていたらしい。


「すごく食べるひとだなと思って少し驚いたんだ。何となく気になってたまに見てたら、とても美味しそうに食べていた。そして時々、幸せそうに息を吐くんだ」


うっわー。
大食いを見られていたとは恥ずかしい。
いつだろう。お昼休憩がずれ込んでよほどお腹が空いている時だったのか。


「あまりに美味そうに食べているから、俺もひとつ買ってしまった。だけど」


食べてみたら普通のサンドイッチだった。
あんなに美味しそうなのに、自分が食べてみるとそうでもない。

冬也さんは、もともと食べるという行為にあまり興味がないそうだ。

誰かとの食事はパワーランチや会食のような仕事の一部のことが多かったし、一人の時は体に必要だから、栄養摂取のために仕方なく食べていた。
食事をすることが楽しいとか嬉しいなんて、思ったことはなかったらしい。


「サンドイッチ一つであんなに満足そうな顔ができるなんて、不思議だった。でも幸せそうな人だなと思った」


ええ。
食べることは幸せです。手軽に得られる幸せです。なので太りました。15キロ。


「それからしばらくして、フィットネスジムで見かけた。李紅はスタジオでヨガをしていたよ。ふくよかな体なのにとても柔らかく、伸び伸びと気持ちよさそうだった。その時も楽しそうに笑っていたんだ」


食べていても、動いていても、嬉しそうで楽しそうなひと。

隠したり繕ったりしない、自然体な女だな、と思ったのだそう。
私は単に、太った体は隠せないし、今さら繕ってみせても仕方がないから開き直っていただけなんだけど。
だけど冬也さんはなぜか、ものすごく好意的に感じてくれたらしい。
だからつい、野村常務と話していた私に声を掛けてしまったそうだ。

そして、私が朝のトレーニングを始めたと小耳に挟み、早朝のジムに出かけた。
そしたらスタジオで、一心不乱に腰を振って楽しそうに踊る私を見つけた。


「こんなに何をやるのも全力で、一生懸命で、楽しそうな人、今までに出会ったことがないと思った」

「……今までに出会ったことがないくらいに変人ってことですか」

「違うよ。すごく可愛いと思った。だからもっと知りたいと思って食事に誘った。そしたらやっぱりよく食べるし面白いし、魅力的で、ますます可愛いと思った」


冬也さん。
可愛いの認識が違うと思う。間違ってるよ。


「冬也さんの可愛いの定義が分かりません」

「そう? じゃあ李紅の考える可愛いの定義って何」


可愛いの定義。ってそりゃあ。


「小顔で八頭身。ぼん、きゅっ、ぼんの体型でお肌がツヤツヤ、瞳と髪がウルウルで笑顔が天使」

「李紅のことじゃないか、それ」


は?


「どこがですか。ツヤツヤもウルウルも、欠片すらないですよ」

「どこがって全部が当てはまるじゃないか。李紅はどこもかしこも艶やかで滑らかで、それに柔らかい。可愛い以外の形容詞で表現するなら、そうだな。美しい、愛らしい、綺麗、華憐、素敵……どれも当てはまるな」

「んなわけないでしょ! 冬也さん目の検査した方がいい。おかしくなってますよ!」

「恋の病だからな」


頭のネジがどこか緩んでしまった冬也さんは甘い甘い笑みを浮かべて、私の頬をするりと撫でて唇にキスを落とした。
と、溶ける。溶けてしまうよ。

真っ赤になった私に冬也さんはまた「ほら可愛い」と言って笑った。
うわわわわ……恥ずかしくてどうにかなりそう。


「愛してるよ、李紅」


そっと取り上げられたカップの代わりに、指にキス。
ふわふわして甘くて、まるでマシュマロになった気分。


結局その日一日。
私はチョコレートの海に投げ込まれるように、甘い言葉と熱い指先にフォンデュされていったのだった。







それから、気になっていたクロエさんの事。

パリに出張中、宣言どおりにあの手この手で迫ってきたらしいんだけど。


「ずっと二人きりではなかったし、今に始まったことじゃないから躱すことには慣れてる。彼女は友人だ。それ以上もそれ以外もないよ。うっとおしい存在にはなりつつあるけど」


解せぬ。
冬也さんははっきりと友人だと言ったし、信じようと思うけど。
私がいいと言ってくれるのは素直に嬉しいけど。


「あんな美人でスタイルも良くて、価値観も話も合うのに?」

「李紅はあの先輩だという男と5年も付き合っていたんだろう? 見た目も悪くないし背も高い。医師だし旧知の中だから話も合うだろう。俺よりあの男の方がいいのか?」


うっ……。

昨晩、過去の付き合いと雅くんのことを洗いざらい告白させられてひどい「お仕置き」にあった。
思い出すと恥ずかしくて死ねる。私のバカ。


「いえ。それはないです。まったく」

「じゃあ、李紅が好きなのは誰」


また! 羞恥プレイですか……!


「……冬也さんです」

「ちゃんと目を見て言って」


ぐふうっ……!
直視なんて無理! 鼻血でるっ!


「李紅。言えないなら明日、ジムの受付前でキスするから。そうだ。その方がいいな。あの男にも周囲にもしっかり周知してもらおう」

「はい!すみませんでした!冬也さんが好きです。大好きですッ」

「やり直し。ほら、膝に乗って首に手を回して、ちゃんと目を見て」


これ、どんな拷問——————――――――!


「す、す、好きです」

「キスもして」


甘すぎる命令に吐血しそう。脈もすごいことになってる。心拍数パない。
ちゅ、と押し付けるだけの軽いキスが精一杯の私に冬也さんは可笑しそうに笑ってますけど、いやもう笑い事じゃないって。


「こんなことしてたら私の心臓がもたない」

「じゃあ慣れて。これから毎日、何回でもするから」

「ま、毎日? 」

「そうだよ。だって一緒に生活するから慣れてもらわないと」


……え?


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